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阿字観(真言宗)

「阿字観」は真言宗の代表的な瞑想法で、最終的には解脱を目標としたものです。
元々は『大日経』に由来する瞑想法ですが、根本経典には具体的な記述はなく、細かい部分に関しては、一部の口伝や中国で書かれたものを基に、日本で独自に作られた瞑想法のようです。

「阿字観」にも様々な方法がありますが、一般に、弘法大師空海に由来するとされる古法(『阿字觀用心口決大師御伝』に基づく)と、興教大師覚鑁による現法(『阿字観』、『阿字観儀』に基づく)の2種類で考えられています。

また、胎蔵界に基づくものと、金剛界に基づくものの2種類に分けることもできます。
「阿字観」では八葉の蓮華と月輪と阿字(अ)を観想しますが、胎蔵界流では蓮華の上に月輪と(白い)阿字を観想し、金剛界流では月輪の中に蓮華と(金色の)阿字を観想するとされます。
ですが、一般には後者の方が良く使われているようです。

いずれの「阿字観」も、それだけではなく、前後に様々な瞑想法を組み合わせて、次第化されています。
詳しく説明しませんが、前後に行われる瞑想法には、「護身法」、「発菩提心(印言)」、「三昧耶戒(印言)」、「五大願(結印)」、「仏眼仏母(印言)」、「普供養(印言)」、「三力祈願」などがあります。

また、「阿字観」自体も、呼吸を数える「数息観」、呼吸に阿字を観想し唱える「阿息観」、月輪を観想し入我我入・広観斂観を行う「月輪観」などの要素が結びついて構成されています。

真言宗では、「阿字」は、大日如来の種子・真言とされ、その本質を「本不生」、つまり、生まれも滅しもしない、本来のあるがままの姿である、とします。
『阿字觀用心口決大師御伝』では、「月輪」は「阿字」の光であり、清浄な心そのもの、「蓮華」は心臓(のチャクラ)の象徴と解釈します。

『阿字観儀』に基づく「阿字観」の核の部分を紹介します。

まず、金剛界流で、蓮華上の金色の阿字を30cmほどの月輪の中に描いた図を目の前に飾ります。
一般に半跏坐あるいは結跏趺坐で座り、法界定印(両手のひら上向きに重ねて両親指の先をくっつける)を組んで、目は鼻端に定め、数息観で呼吸を数えて心を集中させます。

そして、目を開いては図を見つめて集中し、目を閉じては同じものを観想することを繰り返します。
また、自分の胸にも同じ月輪や阿字を観想します。
一般に、月輪は球形で、阿字は一つではなく回り四方にもあると観想する場合もあります。

こうして、自分の心を月輪と阿字に一体化させます。
阿字は本不生であり、世界のすべてがそれと同一であると考えます。

次に、自分の呼気と共に阿字が外で出ていき、人々を救済し、また人々の呼気となって出ては自分の吸気として入り自分を救います。
また、仏の呼気からも阿字が出て自分自身の心=月輪に入ってくると観想します。

また、呼吸と共に、阿字が出入りすると観想し、「アーア―」と唱えます。(阿息観)
目を開いては、図の阿字が自分の心臓の月輪に入ってくると観想します。
そして、世界のすべてが阿字であると考えます。

そして、阿字は月輪の種子であり、月輪は阿字の光である、月輪の光は清浄であり、煩悩は浄化されて解脱できる、と考えます。

また、観想している月輪を徐々に広げて、世界中に行き渡るようにします。(広観)
この時、観想したものすべてを忘れて、無概念、無イメージの状態になります。

その後、阿字を縮めて自分の胸に戻します。(斂観)
そして、人々を救うために瞑想を終えます。

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阿字観はシンプルの方が良いのでわ?

はじめまして、楽しく拝見させてもらいました。

随分と各方面にお詳しいようですね。阿字観は高校生の頃からやってますが未だ極めるには至っておりません。

そりゃそうだ。シンプルにして奥が深いのが、阿字観ですから。

文中、古典的な次第にもとずき説明をなされていますが、阿字観のような基本的な観法は作法よりは、先ずは座る習慣が大切だと存じます。

様々な印明を阿字を観ずる為に使用してますが、そんなに複雑でなくても良いと思います。

禅定の前後に護身法をやるぐらいでよいと思いますよ。

もう既に密教の修法を何か修しておられるのなら、その本尊の印明を付け加えるというのも良いでしょうが、一般の在家の方ならば、ごく普通の蓮華合掌だけを禅定の前後にするだけでも良いと思うのですが

要らぬお世話かもしれませんが、一考までに!

Re: 阿字観はシンプルの方が良いのでわ?

こんにちは。
アドバイスをありがとうございます。
参考になります。

当ブログでは私の個人的なことは書かない方針なのですが、私もゾクチェンに基づくシンプルな方法(http://morfov.blog79.fc2.com/blog-entry-60.html)に一番惹かれます。

静座と医療

丁寧な返信ありがとうございます。
この一連のブログは貴方一人で編集なされたのでしょうか?
大したものです。
あと、岡田虎二郎先生の静座 白隠禅師の軟蘇観なども当ブログでのご説明があれば幸いと存じます。

ナチュラルな姿勢と呼吸での医療効果なども、瞑想の重要な効果と思います。
効果のみを求めるのが瞑想の本義では無いにせよ。
一般の方が、静座に取り掛かるきっかけも大事かと思い、
私もご縁のある方に勧めておりますもので。

Re: 静座と医療

こんにちは。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
なるほどと思います。
勉強してみます。

軟蘇観は、チベットでも甘露下降法というほぼ同じ種類の瞑想があります。
罪の浄化法としては、他の稿(http://morfov.blog79.fc2.com/blog-entry-58.html)で紹介したように複雑に構成された観想法ですが、禅病などの癒しとしてもシンプルな観想法で行われるようです。
軟蘇ではなく、金剛薩埵の心臓の回りにあるマントラから落ちる甘露を観想します。

ブログは一人で書いております。
幅広く勉強することで見えてくることもあると思っております。

阿字観とゾクチェンの共通点とは?

金剛薩タのマントラ云々は、中沢新一さんの虹の階梯に載っていた。
ニンマ派の加行次第の中にあるアレですね。

このタイプの観法は世界中の神秘行に有るかも知れませんね。

それと、ナムカイ・ノルブ氏の著作を読むと、ゾクチェンと阿字観の共通点を述べてましたが、本当の所はどうなんでしょうか?(翻訳された方の出張だったと思います)

優劣はないと存じますが、大日経の如実知自心の思想との共通点は何か感じるものが有ります。

Re: 阿字観とゾクチェンの共通点とは?

コメントありがとうございます。

仰るように、ニンマ派にも金剛薩埵の甘露降浄法がありますね。

また、永沢哲さんがゾクチェンのグル・ヨガと阿字観の共通点(シンプルな方法で本質に直接向かおうとする)について書かれていましたね。
なるほど、と思いました。

教科書的に書けば、弘法大師の教判では10段階の最後が真言密教ですが、ニンマ派の教判では「大日経」は9段階の5番目です。
しかし、ゾクチェンの思想と似たものは、仏教に限らず、広く存在するように感じています。
日本だと盤珪禅師の不生禅とか。

ただ、ゾクチェンの特長は、煩悩性の現れとそうでないものを区別しながらも、思考も含めて前者を自然におのずから清浄なものにすることができるとする点だと思います。

だからでしょうか、ゾクチェンの修行者は、座禅でなく日常の中でも、例えば、自動車の音が聞こえてくれば、それを阿字として(マントラとして)瞑想することをするようです。

何処でも阿字観

盤珪禅師ですか。確かに、禅師の伝記などを読んでみると、
修行中の禅師の体験は、ナムカイ・ノルブ氏のゾクチュエンの本に書かれているのに似た体験がありますね。
魔境というより、やたらと勘が鋭くなり、一種のテレパシー現象が日常状態で発現しているとか。

でも、弟子にそういう状態は。御師匠様だけなのだからと言われて、以後は感知したものに対して口を閉ざしたといわれてますね。

車の音に阿字を感ずるというのは、既にやっております。
仕事(農作業)の合間に、畑のあぜ道、農機具小屋など季節によりますが、何処でも時間が有れば、15分~45分ほど直ぐ横の用水路の水の流れる音、自動車の通る音、子供たちの笑い声をそのまま、阿字観に使っております。
奇遇ですね(笑)

Re: 何処でも阿字観

コメントありがとうございます。

いろいろ読み直したのですが、ゾクチェンと禅(馬祖以降の唐代禅など)は似ていても、やはり異なると思いました。
ゾクチェンの「自然解脱」と、大乗の「後得智」や禅の「妙用」とは少し異なるのではないかと思います。


様々な音を阿字観に使っておられるお話は、とても興味深く読ませていただきました。
単純な作業の時に自覚を保つことは容易ですが、人と話たり、何か考えながら自覚を保つことは難しいと感じております。

マハームドラーとの違いとは?

良く、ゾクチェンとマハームドラーは似ていると、書物などで目にいたしますが、具体的にどう違いがあるのでしょうか。

実践無き質問になりますが、禅で言うと、ゾクチェンが曹洞禅の只管タ座、マハームドラーが臨在禅の洪庵に似ていると何処かで読んだ記憶がありますが、どうでしょう。

三井栄光先生の著書によると、入我我入観が脱落身心、字輪観が公案に通じるとかいておりますが、そこの所はどうなんでしょうか?

Re: マハームドラーとの違いとは?

コメントありがとうございます。

光明真言行者さんの読まれたものを読んでいないので分かりませんが、私は、ゾクチェンと只管打坐、マハームドラーと公案、入我我入観と脱落身心、字輪観と公案が似ていると感じたことはありません。

ナムカイ・ノルブ・リンポチェによれば、本来、マハームドラーは無上ヨガ・タントラやマハー・ヨガの最終的な到達段階で、その境地はゾクチェンと同じですが、思想と方法が異なります。
前者の方法はマンダラや尊格の観想を順を追って行いますが、後者の方法は、心の本質は初めから清浄だという思想的立場から、観想は一挙に細部にこだわらずに行う(アヌ・ヨガ)か、もしくは観想を行いません(アティ・ヨガ、もしくはゾクチェン)。
ただ、ガムポパ系以降のカーギュ派のマハームドラーでは、顕教に似た止観行を重視するので、マハームドラーの意味が異なってきます。

以下は、個人的な見解かもしれません。

マハームドラーに到達すると、自然に業なしに表象(概念やイメージ)が生まれます。
この表象は、もともと表象を固定させる習慣的引力(習気の作用)を持たないので、エネルギー(変化する力)を持っています。
また、感覚のエネルギーを表象で閉ざすこともありません。
(顕教の後得智は、空の認識からくるエネルギーを獲てはいても、表象を固定化する習慣的引力を残しています。)
しかし、それらはマンダラや尊格、種子マントラなどと、それを創造的な母型とした関係を保っているのではないかと思います。
ガムポパ系のマハームドラーの修行で止観行を行うのは、母型との関係(つまり密教的側面)を少なくしようとしたものかもしれません。

これに対して、ゾクチェンでは、テクチューの段階では、業によって生まれた表象も、根源的な気付き(明知)のもとで、そのまま自然に業のないものにしてしまいます。
つまり、習慣的な引力によって作られた表象でも、引力が働かなくなり、明知から付加されたエネルギーを持ちます。
トゥゲルの段階では、最初から習慣的引力のない表象となります。

ちなみに、禅は、業なしに生まれた表象と業によって生まれた表象の区別をしっかりと行わないように感じます。
禅は業の論理としっかりと向き合っていないように感じます。
晩年の道元(12巻本)が、正法ではないとして禅宗を否定したのもそんな理由だと思います。

威儀即仏法

詳しく丁寧な説明ありがとうございます。
つかぬ事を伺いますが、このブログはコメント承認制ですが、もしかして他の記事
でコメントがあまり立たぬのは、何か非常にフザケたコメントが来てるせいでしょうか?
他の記事も拝見していますが、あまり誰も書き込んでいないようですが。

以前、若い方が、面白半分でやっていたポップオカルト・サイトを覗くと、良くも悪くも賑やかにやっておりましたもので、
知識と情報のヒケラカシが多くて、あまり実践は為さっておらぬ方が多かった気がいたします。

他人を呪いたいなどと言う非常識なコメントに、茶々を入れるだけで、マトモなアドバイスを入れるでもなく、悪ふざけの度が過ぎましたもので、一言注意をして引き上げました。
目に見えぬ世界を相手にしている以上は、社会に対しても人に対しても、仏尊に対しても威儀を正すと言うことが大事でしょう。
相手の顔の見えぬネットの世界では、自分の自尊心を傷つけずに、自分の都合の良い情報を手に入れられますが、それだと、エサしか見えぬカエルの様な自我を形成しかねません。
ネットで、本格的な密教の実習は無理だと思いますが、カタログないし、ヒントとしての情報交換は有っても良いと考えて、ここにコメントを書かせてもらいました。

私が、阿字観のみにコメントを書くのも、ミーハーなポップオカルトのビギナーの方は、(口汚い言い方になりますが、実感です)
おそらくはあまり見ないと思ったからです。

地味で、基本的、誰でも知ってる。
でも誰も最後まで、やりとおす人は希な、通好みな観法。それが、阿字観ですので。

本当にやる気のある同行の方には、嘘も誇張も無いことを知らせるべきかと思い
貴方様のブログの場を借りて自説を少々述べてみました。

どの瞑想法が一番優れているということは無いでしょうが、やるのなら、自分のテーマをしっかりと定め、一つに絞ることも大事かと思います。

20代の方なら、時間も有るでしょうが、3年以内にミーハーを卒業しないと、一生精神世界ならぬ精神病世界の住人になって、道を踏み外す危険性が有ると思います。
『瞑想は無い。ただ、慣れがあるだけだ』
ゾクチェンの格言でしたか。名言だと存じます。
このサイトが、真面目な同行の、ヒントと道標になる事を願う所存です。

長文になりましたが、良きご指導ありがとうございます。
まだまだ、寒い日が続きますので、お体を大切に、ブログの更新をなさって下さいませ。それでは、お邪魔しました。


Re: 威儀即仏法

コメントありがとうございます。

コメント承認制なのは、スパム(宣伝など)を避けるためです。
当ブログには、コメントはとても少ないです。

諸々、仰る通りだと思います。

こちらこそ、いろいろお教えいだたきましてありがとうございます。
道を究められますことをお祈りいたします。
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