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ラージャ・ヨガ

「ラージャ・ヨガ」という言葉は、いろいろな意味で使われます。

ヴィヴェーカーナンダは、「カルマ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」、「ハタ・ヨガ」をすべて含めて、ヨガの美称として使います。
シヴァナンダは、古典ヨガの意味で使い、「ハタ・ヨガ」は「ラージャ・ヨガ」への準備段階であるとします。
権威ある梵英辞典には、王様でもできる簡易なヨガとして、「ハタ・ヨガ」より下に置いているものもあるそうです。

本稿ではハタ・ヨガ系経典に記載されている「ラージャ・ヨガ」を紹介します。
ハタ・ヨガ系経典でも、「ハタ・ヨガ」は「ラージャ・ヨガ」への準備段階であると書かれています。
この「ラージャ・ヨガ」は、サマディの段階、特に真我と一体化する段階の瞑想法です。
しかしその方法は、古典ヨガの方法ではなく、プラーナのコントロールや特定の部位への集中や、ナーダ(秘音)への集中など、タントラ的なものです。
ですから、実際には、この「ラージャ・ヨガ」は「ハタ・ヨガ」の最終段階と言ってよいでしょう。

『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』では、古典ヨガのような8支を立てません。
「プラティヤーハーラ(制感)」、「ダラーナ(凝念)」、「ディヤーナ(静慮)」、「サマディ(三昧)」も大きな支として立てません。
そのかわり、「ムドラー」や「ラージャ・ヨガ」を立てます。
これは、「アーサナ」や「プラーナーヤーマ」がサマディの段階まで関係していることからくるのでしょう。


まず、『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』に書かれている「ラージャ・ヨガ」です。

「ラヤ」
:ブラフマランドラ(頭頂のチャクラ)にプラーナを閉じ込めて、心や対象を止滅させる。

「シャーンバヴィー・ムドラー」
:意識を心臓のチャクラに定め、視線は外界の下向きに向けてまばたきをせず、心をブラフマンの中に没入させる。

「ウンマニー・ムドラー」
:鼻先を見つめ、現れた光に意識を集中する。

「ケーチャリー・ムドラー」
:眉間のチャクラ(シヴァの座)に集中し、プラーナをスシュムナーに入れ、アムリタ(甘露・霊液)で全身を滋養する。

「虚空」
:虚空の中にアートマンを置き、アートマンの中に虚空を置き、無念無想にする。

「ナーダ・ウパーサナ(秘音観想法)」
:ムクタ・アーサナ(左右のかかとを性器の下で重ねる)で、耳、目、鼻、口を両手でふさぎ、右の耳でスシュムナーの音を聞く。
まず、心臓のチャクラの音が聞き、喉のチャクラ、眉間のチャクラ、頭頂のチャクラの音を聞く。


次に『ゲーランダ・サンヒター』書かれた「ラージャ・ヨガ」です。

「サマディ・ヨガ」の最後が「ラージャ・ヨガ」に当たります。
:眉間に集中した止息(マノームールチャ・クンバカ)の状態でアートマンに合一する。


最後に、『シヴァ・サンヒター』に書かれた「ラージャ・ヨガ」です。

:親指で両方の耳を閉じ、人差し指で両目を、中指で両鼻を、残りの指で口を閉じて、空気の出入りを止めると、光として真我が現れる。
:サハスラーラにいるシヴァ神に心(シャクティ)を合一させる観想を行い、そのチャクラからしたたるアムリタを飲む。
頭頂のチャクラを観想して、そこに虚空を思念する。

「究極のラージャ・ヨガ」
:ヴェーダーンタによって、ジーヴァ(アートマン)が独立自存であると知って、無念無相になる。


以上のように、基本的には、タントラ的な方法によって、心の作用を止滅させた状態(ラヤ)を達成するのが目的です。
『ヨーガ・スートラ』や古典的なバラモン哲学の影響を受けていると言えそうです。

しかし、アムリタによって全身を滋養するとか、ナーダ音をシャクティであるとするなど、心身の活性化を重視する側面も見えます。
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No title

お世話になっています。
質問があります。
ヨーガは、元々技術であり、宗教と関係ないものでしょうか?
ラージャ・ヨーガとハタヨーガは何かしらの宗教に属しているのでしょうか?
さまざまな種類のヨーガがありますが、それらは様々な学派、宗派とともに出来上がっていったのでしょうか?
よろしくお願いします。

Re: No title

コメントありがとうございます。

しっかり紐解けば、本一冊が必要になりそうな問題ですね。

思いつくままに私見を書かせていただきますが、宗教・宗派に属する流れもあれば、属さない流れもありますし、元々を辿れば宗教以前の文化に根があるんだと思います。

そういう意味では「方法」と表現するのが適当だと思います。

広義には、ヨガは「瞑想法」といった意味になると思います。
古典ヨガの定義なら「心を止滅させる方法」だったり、他にも「神とか、神的原理と一体化する方法」の意味もあると思います。

シャモンが行っていた瞑想法はヨガと表現してもいいんじゃないでしょうか。
アーリア人による国家が生まれ、その間で商業が盛んになり始めた頃、部族文化に属するシャーマン的な伝統から、国家にも部族文化にも属さない人が生まれて、彼らが超越を目指すための方法論だったのではないでしょうか。

しかし、いわゆるヨガ派と呼ばれるのはバラモン哲学の伝統の一つに属しますし、クリシュマナチャリア以降の近代ヨガもバラモン系の解釈(ヒンドゥー教のヴェーダーンダ哲学)の中にあります。

一方、本来のハタ・ヨガは、土着文化に根付きながらもハイブリッドな影響の中でアウトカーストの文化から生まれたものでしょう。
これを仏教(密教)が取り入れて、さらにシヴァ派の中のナータ派(多分アウトカーストの)が取り入れたものです。

現在では、近代ヨガも、仏教の瞑想法ですら、宗教・宗派を超えたものとして受け入れられていると思います。

No title

ご回答いただきありがとうございます。
では、ラージャ・ヨーガとハタヨーガは宗教に属しているのでしょうか?
サーンキャ哲学やヴェーダーンタ哲学を用いているそうですが、これは、哲学がヨーガを取り入れたのか、ヨーガが哲学をとりいれたのか、どちらなのでしょうか?
モヘンジョダロ遺跡のシヴァ神の座法を組む姿がありますが、ヨーガはシヴァ神を主神としているのですか?
度々申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

Re: No title

私が答えるのが適当な質問ではないと思いますが、思いつくままに答えさせていただきます。

>ラージャ・ヨーガとハタヨーガは宗教に属しているのでしょうか?
→宗教の定義しだいでしょうし、ラージャ・ヨガによせハタヨガにせよ、いつのどの流れを指しているのかによると思います。
ただ、単純に答えれば、本来、ハタヨガはタントラという宗教運動に属するもので、土着宗教からヒンドゥー教に取り入れられたものでしょう。
また、ラージャ・ヨガをもし古典ヨガ(ヨガ派)の意味とするなら、本来はバラモン哲学ですが、自在神を認めるので有神論です。

>哲学がヨーガを取り入れたのか、ヨーガが哲学をとりいれたのか…
→どちらかと言えば後者だと思いますが、両方あると思うので、どちらを(どちらの側から)見るかしだいでしょう。

>ヨーガはシヴァ神を主神としているのですか?
→単純に答えれば、シヴァ派ではそうですが、他派では違うでしょう。
あるいは、ハタヨガではそうですが、他では違うでしょう。

インダス文明にヨガとシヴァ神の源流があるのか、それがどういう関係だったかは学問的な解明は難しいのではないでしょうか。
インダスのシヴァ神と言われているのは、パーシュパタと呼ばれる神で、本来は狩猟文化の獣神で、例えば、ケルトの有角神ケルヌンノスと同じでしょう。

もっと分かる部分で言えば、中世にシヴァ派系の人がハタヨガを発展させたのですが、それはシヴァ派がタントラ的傾向が強かったということで、その背景には源流からのつながりがあるのかもしれません。
シヴァ派の神話ではシヴァはヨガのグルで、哲学的にはプルシャをシヴァに置き換えました。

一方、古典ヨガはシヴァと関係ないですし、ギータのジュニャーナ・ヨガやカルマ・ヨガもシヴァとは関係がないでしょう。
クリシュマナチャリア系の近代ヨガも、ハタヨガの影響は受けつつも、ヨガ派のバラモン的な解釈が強いので、シヴァとの関係は薄いでしょう。
これらの主神は、プルシャの一種とされた自在神でしょう。

No title

ご回答いただきありがとうございました。
詳しくわかりました。
参考にさせていただきます。
ありがとうございます。

Re: No title

>どういたしまして。
あくまでも参考ということで、ご自身でいろいろお調べください。
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morfo

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