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アイアンガー・ヨガ

近代「ハタ・ヨガ」は、シュリマン・T・クリシュナマチャリアの弟子だったB・K・S・アイアンガーらによって広められました。

ちなみに、同じクリシュナマチャリアの弟子でも、パタビ・ジョイスは、アイアンガーとは異なり、動きがあって様々な修練を一度に行う「ヴィンヤサ・ヨガ(アシュタンガ・ヨガ)」を広めましたし、クリシュナマチャリアの息子たちもヨガを教えていて、それぞれに異なる部分があります。

アイアンガーは、ごくごく短期間しかクリシュナマチャリアから教えてもらっていないにもかかわらず、指導者として師のもとを離れることになりました。
また、クリシュナマチャリアは、臨終の際に娘に、アイアンガーが一番弟子だと答えたと言われています。

アイアンガーは、ラーマーヌジャの系列のヴィシュヌ派のバラモンの出身なので、彼のヨガは、タントラ色の濃いものではなく、古典ヨガやヴェーダーンタ、サーンキヤなどのバラモンの伝統に、「ハタ・ヨガ」を取り入れたものです。
彼自身は、古典ヨガとハタ・ヨガは一体のものだと言います。
具体的には、『ヨガ・スートラ』の8支をベースにしていて、クンダリニー・ヨガや観想・マントラを重視しない、あまり語らないのが特徴です。

アイアンガーは原則として、「ヨガ・スートラ」の8支則の順に修練すべきものであると考えます。
しかし、「アーサナ(体位)」や「プラーナーヤーマ(調気法)」に関する考え方、「ダラーナ(凝念)」、「ディヤーナ(静慮)」、「サマディ(三昧)」をアーサナやプラーナーヤーマにおいても修練すると考える点で、「ハタ・ヨガ」的であると言えます。

また、ヨガの最終的な目的を、心身(プラクリティ)の「止滅」や、真我との「分離」ではなく、創造的な「自由」として捉え、ヨガが否定するのは楽しみではなく、束縛であるとする点でも、「ハタ・ヨガ」的です。


<アーサナ>

個々のアーサナについて説明はできませんが、アーサナに関する考え方を紹介します。

アーサナは、開眼で、呼吸と動きを合わせて行います。
吸気あるいは保気で行うと単なる肉体的なものですが、呼気と共に行うと、生命を与えるものになります。

最初は脳と身体が共働して行いますが、最終的には、自己、つまり真我が導きます。

アーサナの目的は、心身の浄化、保護、癒しだけでなく、精神的な目覚め、自我を弱くすることにもつながります。
また、アーサナによって、身体の各部分・動作に知性・気づきを吹き込み、包み込むことを目的とします。

例えば、腕を上げる時、身体を外に伸ばすことを意識し、次に、さらにその外まで心を伸ばすと考えます。
アーサナでは自分の中心を見つけ、脳の知性(注意)によって伸び、心の知性(気づき)によって広がるようにします。
伸ばし、広がることによって空間が生まれ、自由をもたらします。
身体の自由は心の自由をもたらし、究極の自由に到達します。

皮膚を伸ばすことは、神経の末端を伸ばすことで、そこに蓄積していた不純物が取り除かれます。
ヨガの実践は、身体から雑草を取り除くようなものであり、そうすることで、庭の草木が成長します。

また、アーサナを行うことで、体の塊に穴をうがち、分子を原子へと砕き、洞察力を内部へと浸透させると言います。
つまり、習慣的に固まってしまった身体を、柔軟に、微細にすることがアーサナの目的でもあります。

アーサナで身体を精一杯伸ばしていても、正しく行われていれば、くつろぎを感じます。
アーサナでくつろぎを感じている場合、我々は外に向かうと同時に、内なる核(真我)にとどまっています。

以上についての私見を書きます。
日常の身体感覚や動作は、習慣化された自我や言葉と結びついて、無意識のうちに限定されています。
また、精神的なコンプレックスは、何らかの身体症状として身体と一体化しています。
ですから、アーサナによって、日常とは無関係なポーズをとり、普段以上に筋肉を伸ばしたり曲げたりすることで、日常の身体感覚・動作を自由にする、つまり、意識化し、相対化し、変容可能な動的なものとすることができます。
それは同時に、習慣化された自我や言葉、コンプレックスから自由になることでもあります。


<プラーナーヤーマ>

プラーナーヤーマについても、基本的な考え方を中心に紹介します。

プラーナーヤーマは、アーサナのポーズが完全に行えるようになってから始めます。
表面的には、プラーナーヤーマとは、呼吸と止息の時間を伸ばすことです。
一瞬一瞬の座り方と呼吸の流れを観察し、正していきます。
プラーナーヤーマは、心と感覚を内側に向ける第一歩です。

プラーナーヤーマは原則として、閉眼で、胸式呼吸で行います。
最初は意識的に行いますが、最終的には真我が導くようにします。

プラーナーヤーマは、「生命に捧げる祈り」であり「献身・愛・自己放棄の行為」であると言います。

まず、吸気では、無限なる神・宇宙の生命エネルギーを取り入れ、自分は真我であると認識します。

その後の止息では、吸収したエネルギーを全身に行きわたらせ、外なる神と内なる神が融合した状態となりつつ、自分は真我であるという確認をもとに心を安定させます。

呼気では、蓄積された毒素を排出し、心からすべての妄想を取り除きつつ、宇宙エネルギーと融合します。
「エコー」(2度目に残りの空気を吐き出す)では、残っている記憶とエゴの汚れを取り除きます。

その後の止息では、脳が空っぽになり、記憶の中の毒素や感情が取り除かれ、ストレスが流れ出します。
自己を放棄し、外なる宇宙に溶け込みます。

最も基本的なプラーナーヤーマは、「ウジャーイー」です。
ただし、アイアンガーの言う「ウジャーイー」は『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』の言う「ウジャーイー」とも、パタビ・ジョイスの言う「ウジャーイー」とも異なります。

完全な「ウジャーイー」は、まず、「ジャーランダラ・バンダ」を常に行います。
そして、吸気の後の止息(アンタラ・クンバカ)で「ムーラダーラ・バンダ」を行い、呼気の後の止息(バーヒャ・クンバカ)で「ウッディヤーナ・バンダ」を行います。

バンダはプラーナを分散させないためのものです。
「ジャーランダラ・バンダ」は、顎を胸に載せて喉を引き締めるのですが、イダ、ピンガラを閉じてスシュムナーにプラーナを入れるために行います。
「ウッディヤーナ・バンダ」は腹筋や胸筋を引き締めるのですが、サマーナを上昇させます。
「ムーラダーラ・バンダ」は肛門筋を引き締めるのですが、プラーナを上昇させます。


<ダラーナ・ディヤーナ・サマディ>

アイアンガーは、「ダラーナ」について、何らかの対象に集中する、あるいは一体化することとします。
そして、「アーサナ」への集中を勧めます。
アーサナの実習の最中に、身体の各部分への注意力の波を送ると、それが全身に広がり、一つになります。
身体の各部分への集中を継続させていると、身体の中心部から光が放たれ、全身を包み込みます。
そして、知性、気づき、意識を身体の端々で感じます。
この時、アーサナは瞑想的なアーサナになり、自己は完全な形になります。

「ディヤーナ」については、何らかの対象への集中を継続し、心を静めるものとします。
アイアンガーの「ディヤーナ」は、基本的に、閉眼で、対象を持たず、思考しないというスタイルです。
これは、古典ヨガで言う「無相三昧」になるのではないかと思います。
そして、アイアンガーは「プラーナーヤーマ」、特に止息(クンバカ)の状態への集中を勧めます。
この時、自我のない、無時間的な体験となります。

「サマディ」については、これをアートマン=ブラフマンの体験、存在の大海へ融合した状態とします。
「サマディ」は、瞑想の結果として訪れる、神の恩寵によって到達するものだと言います。

本来のハタ・ヨガでは、「クンダリニー・ヨガ」によってアートマン=ブラフマンの体験を目指しますが、アイアンガーは、「クンダリニー・ヨガ」については多くを語りません。
ただ、「クンダリニー・ヨガ」は、「サマディ」の体験と同じ性質のもの、つまり、自分から起こそうとして起きることではない、近道ではない、と言います。

また、クンダリーニとスシュムナー・エネルギーとも表現し、陰と陽(イダとピンガラ)のバランスが取れると、それが脊髄(中央管)だけでなく、全身に流れると言います。、

これは、タントラの考え方とは異なります。
 
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