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セムデ(ゾクチェン)

「ゾクチェン(マハーサンディ、大究竟、アティ・ヨガ=原初のヨガ)」は、チベット仏教のニンマ派や、チベットのボン教が伝承している思想です。
中央アジアで生まれた思想だろうと推測されていて、「マハームドラー」と同様に、「あるがまま」を重視する瞑想法です。

「あるがまま」というのは、心をコントロールせずに、心に自然に現れたものを、そしてそれが変化することをそのまま肯定するという考え方です。

しかし、煩悩のある心をそのまま肯定するということではありません。
マハームドラーとゾクチェンでは少し違いますが、ゾクチェンでは、煩悩によって起こる不浄な心も、それが現れるやいなや、自然に清浄な心に変化することを目指します。

そのためにゾクチェンでは、心に何もない心の基盤、心の本質を理解することが重要です。
この状態には、「気づき」があると言います。
ゾクチェンでは、この心の本質の「気づき」を持った状態を、「気づき」に気づいて、あるがままの創造性を受容している状態を、「三昧」と言います。
一般に「三昧」の意味は、何らかの心の対象と一体化している状態ですので、これはゾクチェン独特の定義です。

ゾクチェンの瞑想は、4種類の階梯で考えることができます。

1 「三昧に入る」
2 「三昧の疑いをなくす」(気づきを増して、体験をよりはっきりと理解する)
3 「三昧を維持する」=「テクチュー(解放)」
4 「三昧を深める」=「トゥゲル(超越)」

ゾクチェンには、3つの体系があって、その一つ「セムデ(心の本性の部)」は「三昧に入る」瞑想から始めます。

「セムデ」瞑想法は、「四ヨガ」と呼ばれ、「ハマームドラー」の「四ヨガ」と似ています。
「ハマームドラー」の「四ヨガ」が、ゾクチェンの影響を受けたからでしょう。

最初の「寂静」は、意識と視線を「空間」に固定して、心の現れ、雑念を静めて、心の本質が持つ「気づき」を見出します。

次の「不動」では、意識的なコントロールを行わずに、自然に思考やイメージが自然に現れるようにします。
その時、現れたものをただあるがままに観察しつつ、「寂静」で得た心の本質が持つ「気づき」を保ち続けます。

3番目の「不二(一味)」では、現れのない「寂静」の状態と、現れのある「不動」の状態の両方が生じるようにします。
そして、どちらも同じ心の2つの側面であると理解します。

最後の「任運(あるがまま)」では、様々な体験の中で、「気づき」を保つようにします。
現れのない状態も、ある状態も、すべての体験が心の本性の異なった側面であることを認識するので、「三昧に体験を統合する」とも表現されます。

具体的には、身・口・意の3門で行います。
「身」では、まず、五体投地をしながら三昧を維持します。
そして、歩く、寝転ぶ…と様々な行動をしながら三昧を維持します。
「口」では、まず、マントラを唱えながら三昧を維持します。
そして、様々な言葉を話しながら三昧を維持します。
「意」では、様々に思考をし、判断をしながら三昧を維持します。

こうして、最終的には、意識的なコントロールなしに、心に現れものすべてを、あるがままで完全なたわむれとして経験します。
そして、煩悩のない清浄な心の現れと、煩悩によって起こる不浄な心の現れの一体性を認識します。
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