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あるがままの瞑想

「あるがままの瞑想」は仏教の一種であるゾクチェン(セムデテクチュー)に特徴的な瞑想法です。
仏教では、他にもマハー・ムドラーや中国禅にも近いものがあります。
バラモン・ヒンドゥー系では、ラマナ・マハリシや、ニサルガダッタ・マハラジの言うニサルガ・ヨガもこれに属すると思います。
他にも、スーフィー系と言われるグルジェフのワークや、シャーマニズム系のフナトルテックにも似た瞑想法があります。


一番の特徴は、一切、心のコントロールをしないということです。
意識的に何かに集中したり、その対象を保持したり、対象を止滅させたり、対象を認識したりしません。

心をコントロールすることなく、ただ、心に現れたものを意識し、体験します。
しかし、これだけだと、「観察する瞑想」、仏教で言えば「観(ヴィパッサナー瞑想)」と変わりません。

「あるがままの瞑想」では、心の現れを意識するだけではなく、同時に、自分の心の本質、主体に意識を向けます。
この本質は、「気づき」そのもの、純粋な観察者であり、透明な鏡そのもののような存在です。
そして、この心の本質である純粋な「気づき」そのものを、常に保つようにします。

ゾクチェンではこれを「原初の智慧」とか「明智(リクパ)」と言います。
バラモン・ヒンドゥー系では「アートマン」、「プルシャ」です。

そうすると、心に現れた、どのような内容、対象にも捕らわれることもなく、同一化することもありません。

もう一つの違いは、「観察する瞑想」では、どちらかと言うと、心に現れたものに対して否定的で、それがなくなることを目指したりします。
しかし、「あるがままの瞑想」では、心に現れたものに対して肯定的で、それが自由に現れ、変化することに対して積極的です。

人の思考や感情、行動などは、ほとんどが習慣化されています。
意識していないと、決まった形の繰り返しになってしまいます。
しかし、ただ意識するだけで、対象にある種のエネルギーが流れ、創造的になり、その時その時、変化するものになります。
意図的に変化させるのではなく、自然に変化するに任せます。

「あるがままの瞑想」の特徴としては、段階的な訓練というものが本質的ではなく、いきなり自分の本性である気づきに意識を向けて、あるがままを体験するようにします。

とは言っても、現実的には、最初は、座禅している状態で瞑想するのが簡単でしょう。
徐々に、歩行中とか、単純な作業をしながら行います。

最終的には、何をしていても、一日中その気づきの意識の状態でいることを目指します。
その点では瞑想法というより姿勢や態度に近いかもしれません。
 
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初コメントです

こんばんは。まだ一部分しか読んでいないのですが、睡眠を瞑想化するような都合の良い方法はないものでしょうか?

Re: 初コメントです

コメントありがとうございます。

「睡眠」というのが、「夢」のことでしたら、夢の中で覚醒して夢を変容させる方法は、姉妹サイト「夢見の技術」(http://blog.livedoor.jp/morfo/)で紹介しております。

その中の記事では、夢の中で観想をする瞑想法として、「ゾクチェン(チベット密教奥義)の夢見」(http://blog.livedoor.jp/morfo/archives/51724585.html)も紹介しております。


「睡眠」というのが、「夢のない眠り」のことでしたら、この状態で意識を保つことは、達人の技ですね。

しかし、後期密教では、「睡眠」と「死」と「三昧」の意識状態を対応させます。
ですから、後期密教の瞑想法の一定の段階のものは、夢のない眠りに意識を持ちこんだ状態と同様の瞑想法だと言えると思います。

ちなみに、このページのテーマの「あるがままの瞑想」は、瞑想法と夢見の技術の中間というか、両方を越えた方法だと思います。
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