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カルマ・ヨガ

『パガヴァッド・ギータ』では、中心的なテーマとして、在家者向けのヨガである「カルマ・ヨガ」が説かれます。

「カルマ・ヨガ」の方法は、瞑想法というより、日ごろの「心得」に近いものです。
しかし、本格的に行えば、これは「心得」といったものではなく、「常時行う瞑想」であると言えます。

「カルマ・ヨガ」の方法は、シンプルなもので、一言で言えば、結果を顧みずに、自分の利益を考えずに、無私の意識で、自分の仕事・務めを果たす、というものです。

完全に無私な意識で日常の仕事・行動を行うといっても、言うは簡単ですが、行うは難しいことです。
すべての物事に対して、好き嫌いの反応をなくし、平等に見る必要があります。

「カルマ」というのは、「行為」のことです。
インドのカルマの思想では、個人が自我の意志によって選択的に行った特定の「行為」は、特定の「結果」を引き起こすと考えます。
この意味でカルマを「業」とも訳します。

しかし、無私の意識で行為を行い、自分の責務を果たせば、自分の行為を「ダルマ(調和・秩序・摂理)」に一致させることができます。
「ダルマ」は神「イーシュヴァラ(世界を主宰する神)」の現れです。
そうすれば、一見、良くないと思われる行為でも、悪い結果を引き起こすことなく、最終的には解脱することもできるのです。

ですから、例えば、クシャトリア階級の人間が戦闘で人を殺しても、無私な意識で務めを果たしているのであれば、解脱できるとされます。
同様に、シュードラ階級の人間は、無私な意識で奴隷として務めれば、解脱につながるとされます。
(個人的には納得していませんが…)

『パガヴァッド・ギータ』では、「カルマ・ヨガ」と対比して、出家者向けの瞑想的な「ジュニャーナ・ヨガ(知識の道)」が説かれます。
「カルマ・ヨガ」は、正しい知識を得るための準備であるとされるので、「ジュニャーナ・ヨガ」と通じています。

つまり、「カルマ・ヨガ」を行うことを通して、自分の本質である「真我(アートマン=ブラフマン、プルシャ)」を知ることにつながります。
人は、自分が「行為の主体(行い手)」であると錯覚していますが、本当の自分は「観察者」なのです。

「真我」を知ることは、自分が「イーシュヴァラ」と一体であることを理解することでもあります。
「カルマ・ヨガ」は、常に「イーシュヴァラ」の現れである「ダルマ」に関心を持っていることでもあります。

ですから、「カルマ・ヨガ」を行う者は、「イーシュヴァラ」への「信愛(バクティ)」を持つ者であるとも語られます。
つまり、「カルマ・ヨガ」は「バクティ・ヨガ」にも通じています。

ちなみに、近代の聖者であるヴィヴェーカーナンダは、慈愛による利他的な行為を「カルマ・ヨガ」として重視しました。
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