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ヘシュカズム(ギリシャ正教)

ギリシャ正教の修道院で行われている「ヘシュカズム」と呼ばれる祈りの行法を紹介します。
これは神との一体化を目指すもので、「人間神化(テオーシス)」と呼ばれます。
語源は、ギリシャ語の「ヘーシュキア(静寂)」です。

ギリシャ正教には神秘主義的傾向があって、神を「光」として体験できるとします。
ローマ・カトリックではこれは認められていません。
基本的に、キリスト教では、人は神に直接に触れることができないとし、人間の魂と神との間に断絶を認め、これを「神の闇」と表現します。

このギリシャ正教の「人間神化」に関する矛盾は、14世紀にグレゴリオス・パラマスによって理論化され、解決しました。

人間は、神の「ウーシア(本質)」には触れることができないが、神の「エネルゲイア(活動)」には触れることができるというものです。
「エネルゲイア」としての神は「光」として体験されます。
「ウーシア」としての神は体験できないので「闇」なのですが、それは単なる「闇」ではなく、実際には人間にとっては過剰すぎる「光の光」=「輝く闇」なのです。

ギリシャ正教では、人間が直接に触れ、合一することができる「エネルゲイア」としての神は、「聖霊」です。
ギリシャ正教においては、「聖霊」は「父」なる神が直接に発する、「子」なる神と同格の存在です。
そして、人間の心の中に存在する内在神的な存在なのでしょう。

「人間神化」は知的な認識ではなく「観照(テオリア)」によって行われます。
人間の魂が能動的な認識を捨て、受動的に神(聖霊)の恩寵=照明を受け入れ、神の似姿に作り直されるのだとされます。

ちなみに、カトリックでは子なるキリスト=ロゴスを受け入れるとする点が異なります。


「ヘシュカズム」の具体的な方法は次の通りです。

椅子に座って、背中を丸め、あごを胸につけ、へそを凝視します。
イエスの祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐れみ給え」を繰り返し称えて祈ります。
前半で息を吸い、後半で吐きながら、リズムを保って称えます。

心の持ち方に関しては、心臓の奥に、意識の深層を探るようにします。
すると、徐々に、祈りの主体(自己)と、祈りと、祈りの対象(神)が一つになっていきます。
そして、光のヴィジョンが現れます。
この光は神の活動であるとされ、この光と自己が一つになります。


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