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小周天(内丹法1)


中国の道教(仙道)の気をコントロールする瞑想法(命功)である内丹について説明します。
内丹の目的は、初歩の段階では気功に似た健康法ですが、最終目標は不老不死ということになっています。
ただ、その意味はインドで言う解脱と似たものでしょう。

そのために、内丹ではまず、生まれたての嬰児(成熟した胎児)のような、汚れのない純粋に創造的な気の身体の状態を回復しようとします。
両親の交わりによる受胎と母体の中での胎児の成長を、気をコントロールする瞑想によって再現し、新たな気の身体の胎児を、体内に育てます。
それによって、元々の身体をも純粋に創造的な気の状態にします。

内丹の具体的な方法は一つの決まった方法があるわけではなく、時代や宗派、道士によって様々な違いがあります。
本ブログでは、正統派の内丹法と思われる、張伯端によって完成した「南宗丹法」と、それを継承した「伍柳派」の、比較的一般的と思われる方法を紹介します。

内丹の瞑想法(修行法)には下記のような段階があります。

1 煉己築基
2 煉精化炁(初関・小周天)
3 煉炁化神(中関・大周天)
4 煉神還虚(上関・出神~還虚合道)

この記事「小周天」では、1、2を、次の記事「大周天」では3、4を簡単に紹介します。


1 煉己築基

この段階は、「後天的な気」を凝縮し、「精」(エネルギー状の気)を集める段階です。

まず、「武息」という呼吸法を使いながら、下田丹(腹部)に後天的な気を集めて凝縮します。
すると気は熱くネバネバした「陽気」になります。

「武息」は、意識的な腹式呼吸で、切れ切れに鼻から吸い、それとともに肛門を締め上げます。
しばらく息を止めてから、切れ切れに空気を吐きながら、肛門の締め上げをゆるめます。

胴体と頭部の前面と背面には重要な気脈があって一周しています。
前面が「任脈」、背面が「督脈」です。
陽気をその気脈に沿って周回させます。
最初は体の表面を通りますが、徐々に内側を通るようになります。

つまり、腹部から下に降ろし、胴体の下部を通って、背中の中心に沿って上昇させます。
そして頭頂を経て、顔面を下に降ろします。

「上丹田」(頭頂)では、一定の時間、陽気を留めおきます。
これを「(還精)補脳」といいます。
この時、「文息」という、無意識で自然な呼吸を行います。

さらに、鼻から下へは、舌を通して喉に抜きます。
さらに、胴体全面を降ろしていき、中丹田を経て、下丹田に戻します。

以上、1周させるのに、数十分かかります。
これを繰り返すことによって、身体に分散している「精」(エネルギーの元)を陽気に集めます。


2 煉精化炁(初関・小周天)

この段階では、「先天的な気」を発動させてすべての精と混ぜて蓄積します。

表層的な意識を滅して下丹田に集中することで、「先天の気」を発動させます。
「先天の気」は下丹田あるいは「命門」(両腎蔵の間orすい臓部)から腎中に達します。
これを「外薬(小薬)」と呼び、このプロセスを「調薬」と言います。
この時、「陽光一現」といって、眼前にひと光りを感じます。

これを陽気と同様にして、何周も回して、下丹田に蓄えます。
これを「小周天」(採薬)と呼びます。

360回ほど小周天を行って外薬を練ることで、体中の精をすべて外薬に集めます。
このプロセスを「煉薬」と言います。
この時、「陽光二現」と言って、眉間に光を感じます。
周天は、慣れると一呼吸で回せるようになります。

文息にして意識を下丹田に集中します。
すると、会陰から「気」が登り、「内薬」が生まれます。

外薬と内薬を混ぜて「炁(キ)」(丹母)にします。
「炁」は精をすべて気に混ぜたで凝縮したものです。
つまり、精と気が一つになったものが「炁」です。
この時、「陽光三現」と言って、眉間と回りに光を感じます。

この時、上丹田から発生する液状のもの(随液)と、腎で発生した精(玉液)とを、下丹田で気と混ぜることもあります。

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No title

久しぶりに覗かせてもらってますが・・・
このサイト、誰もコメントしないのでしょうか?
仙道・小周天などは他のサイトでは、かなりマニアックな方が大はしゃぎでカキコしまくってましたが・・・

自称、大仙人が一杯居ましたね。

この分野、高藤氏系統の方がかなりマニアックに書いてますね。

今では、メジャーな練功法、周天法ですが、現在・日本では高藤氏の系統が
主流になっていますね。
瞑想を好むよりも、目先の徴候のみを追い求めて、小より大の方が偉いみたいな
優越感に耽る方が多く・・・
パワー志向に落ちやすく、お山の大将に成っている人も多いみたいな・・・

Re: No title

光明真言行者さん、コメントありがとうございます。

>誰もコメントしないのでしょうか?
特に制限しておりませんが、このブログは本みたいなものですし、個人的な実践については書いていないからでしょうか。

T氏の影響状況についてはあまり存じておりませんが、学研でのメジャー展開がありましたから、いろんな方がいらっしゃるでしょうね。

No title

気の練成に寄る、スピリチュアルボディの凝結法ですね。
いろんな種類の方法が有り仙道のモノが一番、体系的ですが・・・
それは、本来具わっている霊体を実体化させると言う奴ですね。
完全に成功させた人は・・・現在では皆無に近いでしょう。
持っているから、出神を見せてやるなどと言う方も居ましたが・・・
その方の同調者にしか見えませんでした。

気功法が流行りだした頃、よく登場した気で相手をぶっ飛ばすとか言う現象が、
麗しき子弟間でしか作用しなかったのに似てますね。

肉体を持っている時は、気を発生させたり蓄えて置ける肉体が有るので、同じ肉体人間に多少は、濃度の濃い生気体を感じさせられるでしょうが・・・
肉体を失った後も、呂洞賓や張三峰のマネが出来る仙道修行者は・・・・
今時居ないでしょう。

周天法に拘りすぎると、全体が見失う場合がありますね。
クンダリニーやチャクラの開発法にも言える事ですが。
先ずは、自身の健康管理をチャンと出来るレベルをクリアーして、
目的意識をチャンと持って、全身の気場を強化。整える事から始めるべきでしょう。
小周天・大周天よりも、全身周天のほうが大事だと思いますね。
座って、武息による期の発生よりも、ヨガのアーサナ・立禅・軟蘇観をシッカリ遣れば、チャクラが見える・クンダリニーが上がったと騒ぐ人よりも・・・健康になれます。

それと、この手の修行法・・・出来る奴は・・・簡単に出来ちゃいます。
それこそ、過去世から遣っていてカッテ知ったる何とやらとばかり・・・
逆にそういう方は、他人が何故出来ないのか?理解できない場合が有りますね。

Re: No title

コメントありがとうございます。

お返事が遅くなりました。

仰る通りだと思いますが、難しい問題ですね。
以下、抽象的な一般論で、失礼いたします。


仙道では、性功(精神的瞑想)と命功(気を操作する瞑想)のどちらを(あるいは存思を)重視するか、どういう順番で修行するかは、派によって異なり、それが派の性質を決定しているように思います。

後期密教でも、生起次第(イメージを操作する観想法)、究境次第(気を操作する瞑想)、頓悟的な止観的瞑想の3種の修行の位置付けは、派の性質を決めているでしょう。
一般に、観想法も、気のコントロールも、スピーディーに悟るための方便ですが、空の認識が必須です。

==

また、気や霊体と総称されるものにも微細さのレベルの違いがありますね。

仙道の陽神、秘密集会タントラの幻身、ゾクチェンの虹身もそれぞれ違うと思います。

また、微細さのレベルの問題と、量的な強さと、清浄さもぞれぞれ観点が違うと思います。
仙道の場合は、先天・後天とか、陰・陽とか表現される場合もありますが。

==

結局、そもそも、何を目的とするかですね。

・一般的な現世利益を目的とする
・社会を捨てて心身の止滅を目的とする
・社会の中で肉体を持つ中での、創造的な自由を目的とする

私は最後ですが、その観点から考えれば、
・身体の微細なレベルの創造性・自由を、粗大なレベルの創造性・自由に結びつける
・精神の微細なレベルの創造性・自由を、粗大なレベルの創造性・自由に結びつける
ことが望まれます。

また、心身は連動しますので、常にそれを意識しながら、一方への働きかけが、もう一方への働きかけをうながして、自由な創造性を生むようにと、考えたいですね。

No title

返事が遅れ申し訳ありませんでした。
書いた後、・・アマリにもアレコレ問題定義を一度にしすぎたかなと思い反省してました。
どうコメント書いてよいやら・・・スミマセンでした。

多くの方が、この修練法の紹介をしてますが・・・
どの方も、自分の体(肉体・零体に係わらず)の中を気を巡らす事のみを取り上げて、小周天・大周天と分類していますが・・・

人体を複雑なエネルギーの循環体系と見て、自己のエネルギーの増幅のみを競い合っているような気もいたします。

自分を中心に気を廻しているのなら、クンダリニーが目覚めようが、陽神が出来様が・・・自己中心の小。
(自己を運びて、万法を証する)
自分も自己を取り巻く、世界の大きなエナジーの流れの一部と世界に対して敬意と感謝を持つなら、大。
(万法来たりて、自己を証する)
と言う、分類も有って良いのじゃないでしょうか?

気を強める事のみ、周りの環境の気を吸収する事ばかりに、拘っていると
周りのエネルギーを貪る事に躊躇しないバンプみたいなキャラになりやすいと思いますね。

性功が足りないと言う方もいますが・・・瞑想するぐらいで・・・治りません!
それよりも世間様に頭を下げることが出来るかどうかが大事でしょう。
(下座行の実践ですね)

気功法の実習サイトなどで、立禅を自然環境の良い所で実習する事をよくみかけますが、
良い気を貰って、邪気を出したのなら、その環境にチャンと敬意を払う位の配慮を持たない、修行者は・・・初心から有所得・魔道の住人に成ってる可能性が有りますね。
慈雲尊者『人は人と成るべし。此の人となり得て神ともなり仏ともなる。』

堅苦しいコメントになりましたが、同じ道を志しながら途中で道を外して、
自分だけじゃなく、他人も苦しめる事になった友人達を多く見てきてますので・・・

Re: No title

コメントありがとうございます。

仰る通りだと思います。

すべてのまともな伝統は、超能力主義的な自我のインフレーションの危険を述べていると思います。

ただ、体験に基づきつつ、客観的に語るのは大変難しい領域です。

内外を循環する気を主体で考えることは、分離された心身観に基づく日常的な自我意識を壊すことに意味があると思います。

同様に、体内神の存思の瞑想も、内外の照応的世界観、力の集合体としての心身という見方によって、自我意識を壊すことに意味があると思います。

同様に、より微細で動的で生成的な気(の身体)を感じることは、固定的な身体感に基づく自我意識を壊すことに意味があると思います。

後期密教でも、脈管やチャクラを観想しても、それが空だという認識を持つことが前提となります。

トンレン(慈悲の瞑想)のように、自分が悪いものを吸い込んで、良いものを外に吐き出すような瞑想も偉大です。

瞑想ではなく、下座行や利他行の実践だと言われれば、その通りだと思います。
瞑想と日常の一体化が必要ですね。

No title

トンレンの様な他者の為に祈ると言う部分ですが、仙道・気功法・クンダリニーヨーガ・西洋魔術ets、これら即物的な効果を求め、若い方々が群がる修行法には、
スポーンッと完璧に抜け落ちていて、そういう宗教臭さが無い自分達の修行体系の方が、高度?で理性的で?近代的?と勝手に思い込んでる節がありますね。

その為に、チャチな即物的なパワー志向に囚われ過ぎて・・・基本もマスターできない方も多く見受けられますね・・・マトモな感性が無くてはマトモな人生を送れない・・・当たり前の事を受け入れられず・・・コンプレックス解消の為に神秘行に着手
手抜きとインチキ、誤魔化しばかりで指導者泣かせ!
(お気づきでしょうが、小生・高藤氏の下でインストラクターをやった経験もゴザイマス)

タオの感性を研ぎ澄ませる為には、強さばかりを(肉体・霊体に係わらず即物的なパワー、権力・金・名声ets)追い求めていると・・・自己の気が常に外に刺々しく発散、漏れますので、ジンワリと体内に浸透して
(温容・・・これこそが大事!外部に気がダダ漏れでは周天法・チャクラ・クンダリニーどころじゃない!)
行きにくい気功的な体質に成りやすく・・・・
サッパリ修行が進まず・・・他者との比較論での自己に囚われて・・・意識の深い所に降りてもいけず・・・
禅定体験も・・・面白く無いから直ぐ止めますね・・・イチイチ褒めてやるのも・・面倒でしたし・・・

「真言何万遍でクンダリニーが覚醒?しますか?
般若心経は空を説くから、ビシュダー・チャクラが覚醒しますか?
仏前勤行やったら、超能力が身に付きますか?
阿字観やったら夢をコントロール出来て夢見の体を・・・・・」
こういう方ばかりでしたので・・・教えるのがイヤになった事が・・・

気づこうが気づつかまいが、誰もが皆、永遠の世界で生きている永遠の求道者
それに気づいて、修行(普賢行願)を開始して、本来備わっているモノを顕そうとしているのが、金剛サッタでしょう。

Re: No title

コメントありがとうございます。

ご指導体験に基づくお話で、重みがありますね。

私のブログがそのような傾向を助長することがなければ良いのですが。

文章は、内容はもちろん、内容以外の部分でも、様々なものを発信すると思いますので、足りないところを再考してみます。

内丹炉の形成

少し愚痴になりスイマセンでした!
マァ、色々有りまして、今は一人で静かに行じてます。
小言ばかりでは、このサイトの記事の内容に反しますので、少し技術的な事も書かせて頂きます。

多くの人が、初めから静座等をして武息で陽気を発生して、古典的な次第書にあるような体験したいでしょうが・・・
上手くいかない場合に、丹田(煉丹炉)が体内に形成されて居ない場合があると思います。
気を練る場所である丹田が形成すると言うのは、メンタル的な事じゃなくて、
全身のフォームが、仙道ムキに練りあがっているかどうかと言う事です。
左右上下のバランス、強靭な足腰、柔軟な背骨、要するに、太極拳などで要求される身体能力が必要です。
体の中に、コアを作り、其処を中心に気を練る訳ですね。
瞑想はしても、体を練る事を嫌がる瞑想マニアは・・・本格的な仙道修行に向きません!断言できる!

Re: 内丹炉の形成

コメントありがとうございます。

なるほど、そうですか。
私自身は、そういう苦労をした経験がないので分からないのですが、参考になります。

内丹の前提として導引がありますし、ヨガにも様々なアーサナの実習がありますし、密教系ヨガにもトゥンコルなどがありますからね。

気の鍛錬法の落とし穴!

小周天、クンダリニーなんかの修行でよく、陥る危険性に・・・
手っ取り早くクンダリニーさえ覚醒したら・・・ハッピー・ハッピー・・今日から私も
超人・アデプト・ニュータイプとばかりに、体内に有る、なけなしのエネルギーを一点集中で尾骶骨に集めて、無理やりに気を上昇させ・・・
取り返しの付かない状態に成ってる方がよくいましたね。

クンダりニーを上昇させるよりも、体内に気を溜める事が大事です。
他人と競争するものじゃ無し、自分のテンポで一生やっていけば良いのです。
先ずは、丹田と言うより、体の中心に気を充実させて、ホンワカ温まる程度目指した方が良いのです。
(なけなしの気を集めるよりも、まず自分はエネルギーが少ないと割り切って、天からエナジーを頂き丹田に納める!進陽火よりも退陰符のルートを先に作っておけば心火逆上になり難いのです)
お腹に気を充実させて、かなりの圧力・膨張感が出来たら背骨よりも、まず、足に流し込んでみる事ですね。
白隠禅師の軟蘇観・内観法の要領です。

本山ヨガなどで、やっている一呼吸一回での小周天は、お止しになった方が良いでしょう。
伝統的な仙道で言う空車を廻す事になりかねません!
プラーナヤーマなどを使ってチャクラを覚醒するにしても・・・基本のアーサナさえマスターしておらず座相が悪く、体が硬く、咽喉・腹部・肛門並び会陰の引き締め、
三つのバンダさえ出来てない初心者にコレを教えても・・・
呼吸法でチャクラを弄くるよりも、先ずは、体内の気の充実を図ることです。
一生やっても、内丹が出来なくても良いのです!

インチキ、手抜きをやってまで、嘘くさい神秘体験をデッチ上げるよりも、自分自身の足で一歩づつ着実に歩む事こそが、修行者の本懐でしょう。

全ての瞑想法に言える事ですが・・瞑想は他人との競争でも、期限・締め切りが有る訳でもございません!
他人から、幸せと思われるのが自己の幸せと勘違いしているとしか・・・
思えない人は、遅かれ早かれ道を踏み外しますね。

菩提心ならぬ功名心を因として、瞑想修行をしているとドウナルカ・・・

即身成仏は即席成仏に非ず!

Re: 気の鍛錬法の落とし穴!

コメントありがとうございます。

仰る通りだろうと思います。
何をお返事しようかと迷いましたが、まったく別の視点から書かせていただきます。

「自由」を目指す私として、身体レベルで重視しているものに、「フリーダンス」がございます。
通常は、「瞑想」や「夢見」には入れて考えませんが、私にとっては同種のものです。

一言で言えば、意識的にコントロールせずに即興的に踊る。
無意識と体に躍らせる、それだけです。

ただ、習慣的な動きにならないように、意識を介入させることはあります。
自分の回りや自分の動きに気づきを保ちながら、常に新しい動きが創造されるようにします。

気の動きを意識しながら行うこともできます。
この場合も、コントロールはいたしません。

体の動きを習慣から開放することで、心も開放されます。

私は、若いころ、毎日ようにフリーダンスを行っておりました。

忙中に閑・・・有るかな?

スイマセン、ここの所忙しくて返事が遅れました。
管理人さんのブログを利用してコメントを書かせて貰ってますのに、
申し訳ございません!

ただ、管理人さんの返信も真面目なので、適当にお茶を濁すわけにも行かず、どのように書こうかと迷ってました。
以前の、ポップオカルトサイトは、良くも悪くも・・・軽すぎましたが・・・

また、何処かの気功法サイトで密教の曼荼羅を足に敷いて、気を練るなどと言う
不埒なお茶ラケを勧めていましたので、一言注意しましても・・・
承認制なので・・・ハナから無視でしたが・・・

ダンスをしているとの事ですが・・・元ダンサーですかな?
もしくは、ラジネーシ・グルジエフ系のダンスを取り入れたエクササイズをオヤリになってたのですか?


時間が無くて忙しい時は、雑木林の横の農道、ため池の堤防などで15分でも立禅で気を練ってますね。

夢見は2・30代結構やってましたが・・・最近現実生活に追われて・・・
最近、夢をユックリ見てませんね・・・閑と体力を持て余してた頃・・・
気功、立禅を中心に1・2時間、阿字観2・3時間もしくはそれ以上、
アーサナを使っての筋トレとストレッチ・・・2・3時間・・・
山籠りで11時間位やってた時も・・・
さすがに年相応に、立場が出来ますと・・・ソウも言っておれず・・・・

夜中、仕事が終っての仏前勤行も・・・睡魔との闘いになっている今日この頃です。
ちなみに、大周天までいった奴は若い頃・・・ニート・フリーターが多いかと・・・3ヶ月バイトして、半年修行に専念・・・
そういう奴に限って指導者になると・・・
メシの心配のいらぬ立場で無いと修行できないという現実・・・
他人の事言えた立場じゃないですが・・・ここいら辺のシビアな現実も知っておくのも大事かと!

一生、クンダリニーが覚醒しなくても解脱できなくても・・・
先ずは、自分の食い扶持は自分で稼いで修行すべきでしょう。

僧侶も喰うのに困らぬ寺に入れば・・・壇家と信者の世話で忙殺されて
自己の修行どころじゃ無しになりますね・・・・
『密教僧が密教寺院に寝起きして、その密教の高度の理論を理解して、
三昧発得・即身成仏する日は・・・・永遠に来ない・・・なぜなら・・・
そんな閑がございません!』というのが、今の時代の現実でしょう。

中世のチベットでも似たような格言が有ったような・・・
瞑想も仕事もドチラも大事!
偏らずバランスが大事かと!





Re: 忙中に閑・・・有るかな?

コメントありがとうございます。

私はダンサーではないです。
フリーダンスは、誰もが行って意味のあるものだと思います。
私は、何事も、研究と直観から、我流にアレンジして行うことが多いです。


仰るように、現代生活の中で、仕事を行いながら、本格的な瞑想や夢見を行うことは難しいと思います。

ですが、そういうハイプレッシャーな中でしか行えないこと、その中だからこそ行う意味のあるものもあると思っています。

仕事の会話をしながら、瞑想(気づき・解放・自由化)を行う、夢見(プロセス志向心理学の24時間の明晰夢)を行うことは、難しいですが、意味があると思っています。

No title

ダンスに限らず、肉体を通した感性を磨く修行は大事だと思いますね。
我流でも宜しいのじゃないでしょうか!
私の太極拳・意拳モドキも他人と競う訳じゃないので、先ずは生涯現役のために行じてますね。

自分の体を使って遊ぶ事も大事ですね。
瞑想は基本・・・一人遊びこそ楽しけれ・・・良寛和尚!ですから。
毎日同じ、動きよりも、その日の疲れ、筋肉の強張りはその日の動きで解す・・
その日作った因縁はその日の瞑想と祈りで浄化・・・

この繰り返しでしょう。
あのミラレパが、『一生悟れると期待するな!ただ、一生修行しろ』みたいな事を言ってたと思います。
心の底から敬愛する栂ノ尾の明恵上人が
『仏と成りて何をかせん!今生がダメなら来世で・・・何処までも徒者に成り果てて行ずるまで・・・』同じ時代に生きてチベットと日本の成就者が似たような事を言っているのが面白いですね。

Re: No title

コメントありがとうございます。

そうですね。

本当に生まれるものは、どこからともなく勝手に生まれます。
フリーダンスで刻々に生まれる動きは、その人の内からではなく、すべての間から生まれます。
体の動きも、気の動きも、心の動きも同じだと思います。

その動きは、習慣を打ち破って生まれるものもあれば、習慣なく生まれるものもあります。
自由に動かせば、その日の行為の影響も、それ以前からの影響も、完了させていくことができます。

「私がいついつ悟る」という発想をせず、常に、個々の生まれた動きを自由にして完了させることを考えます。
如来蔵的な任運乗、 無為自然の考え方です。

もちろん、大きな習慣を破るためには、意識的な瞑想や気の操作が必要という事は否定しませんが。

フリーに表現する難しさ

フリーダンス、面白い表現ですね。

目に見えない世界は、証明するよりも、表現するものでしょう。
真如・翰墨にのせ難し、いまだ悟らずに図絵をもって表す・・・

『目に見えざる世界を、自己の自尊心のよりどころにするな!』

修行開始時、指導に当たってた方に注意されましたね。
感性で感じた世界を理によって説明するよりも、それを表現する後天的な技術を
磨けでしたね。

他者の賞賛を求める為に、瞑想(?)らしきものをやっている方は、
『自由に、自分の好きなように動いてみろ』と言われると・・・
多分、何も出来ないでしょう!
自己の中に、内なるものを探求する事無く手っ取り早く、他者からの賛同・賞賛を求める方は・・・自由に動けと言うとヒスを起します。

本当に、自分が好きでやっているというよりは、ミエのためのパフォーマンス
様々な瞑想法が有りますが、まずは、自分の内面の、様々な感情、感性・衝動を表してみると言う事が出来ない

悩みが有って寺に来ながら、自分の悩みを全く言わず、
書物で仕入れた知識をひけらかす人が多いと、先輩諸氏から聞いた事が、ゴザイマス。
そんな時、『あなたが本当に好きな物はナンデございますか?』
と、尋ねるそうですが・・・正見、自身と向き合う!
それにも、応えられず、口先だけで心にも無いオベンチャラや教養を
ひけらかす輩には・・・
『忙しいから・・・サッサと帰れ!問題意識をチャンと持って出直して来い!』
だそうです。

精神世界に、何も興味が無く、問題意識すら持ってなければ、無意識の扉は開かない!

『他の誰でもない、あなた自身の体で有名な達人・教祖様の受け売りじゃない、あなた自身が感じて、どうしても表現したいと言う衝動を表してみて下さい!』

これが出来ず、自分自身と向き合えない人は・・・2・3年したら大抵、
瞑想スタイルが変わってますね・・・
重複するものばかり、次第書ばかり集めても仕方が無いのに・・・
フリーダンス、なかなか面白いテーマだと思います。

Re: フリーに表現する難しさ

コメントありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。

別の観点から書きますと、対機説法ということがありますね。
理性優位の人、感情優位の人、信仰優位の人など、それぞれの性格に合わせて、長所を生かした道、短所を補う方法があると思います。

指導者の方はそれを見極めるのは大変ですね。

内丹派仙道は禅の修行!

内丹派の仙道を本格的にやるのなら、やはり禅の基本的な素養が必要だと思います。
北派全真教、南派共に、開祖が仙人と言うよりは在家の禅修行者・居士でしたし
基本の内功・命功から先、性功の世界は殆んど禅の修行でしょう。

禅が何らかのビジョン体験を、否定せずとも執着してないのに比べて、
仙道は陽神の練成で多少はイメージを必要としますが、
究極的に禅の禅定の世界の追求と同じだと思います。

小手先の秘伝を教えてくれる自性大物指導者よりも、
基本の姿勢と呼吸、目的意識・方向性コレをチャンと指導してくれる方は・・・
アマリ居ませんでしたね・・・
意取丹田の時の呼吸ですが、武息・文息の前の調息、所謂、数息観。
具体的に詳しく教えてくれる指導者は意外と少ないと思いますね。

後、禅宗の僧侶と言えども・・・単に禅坊主臭いだけで、本当の意味で禅の風格を持っている方は・・・意外と無名の居士の中に居ますね。
その様な方に出会えるかどうかが、仙縁・仏縁の有るかどうかでしょう。

有名人の金魚の糞に成って、自分もお株が上がったと思っているようじゃダメですね。
本当の求道者ならば、乞食の群れの中から呂洞賓や大燈国師・ティローパを
見つけるぐらいじゃないと・・・

Re: 内丹派仙道は禅の修行!

コメントありがとうございます。

仰る通りだと思います。

全真教など、道教における「三教一致」は大きな傾向で、「性功」は宋代禅の座禅と並行していたのでしょう。
道教的に表現すれば、「坐忘」とか「心斎」でしょうか。

内丹も宗派によって「先命後性」とか「先性後命」とか、多様ですね。

密教との統合もあれば興味深かったと思いますが。
密教的に言えば、身口意は一体で、根源の気と根源の心の浄化・生成は同時です。

ただ、禅宗には、東南アジアやチベットのように伝統的な止観法、観想法が伝わっていませんし、禅宗の瞑想法は、時代や人によって全然異なり、座禅を否定する思想も流れています。

また、日本では、調身(座法)→調息(数息観)→調心(随息感)→見性(無念無想)という禅宗の瞑想法が、瞑想法の代表のように思われている風潮があります。
しかし、世界的には、全然そうではなく、様々な瞑想法があることを知ってもらいたいと思って、このブログを書きました。
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