スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

聚思惟

「聚思惟(思惟智・観察智)」は上座部仏教が行う「観」の瞑想法の一つです。
法を種類別で(カテゴリとして)思惟・観察して、それが無常・苦・無我であると理解する瞑想法です。

存在を分類してそれぞれの無常を認識していくという、部派仏教・上座部仏教の「観」の瞑想の特徴が良く表れていると思いますので紹介します。
上座部仏教の最大の聖典・瞑想指導書である『清浄道論』に記載された方法を中心に、簡単に説明します。

まず、修行体系の中での位置ですが、「止」に続いて行う「観」の瞑想で、その5段階ある中の3段階目の「道非道智見清浄」に当たります。
「観」の瞑想では、まず、法を識別し、次にその無常を理解し、そして、執着を離れます。

「聚思惟」を行う「道非道智見清浄」は、法の無常を理解する最初の段階です。
もう少し詳しく書けば、行法の三相(苦・無常・無我)を考察・観察して、「道諦」(何が修行の正しい道で何が間違っているか)を認識する段階です。
「道非道智見清浄」では、「聚思惟」、「生滅随観智」という2つの瞑想法を行い、「十観随染」という観の修習の際の誤解をもたらす障害を除きます。

「聚思惟」は法をカテゴリ別で考察・観察するというものですが、そのカテゴリ・セットには「名色」、「五蘊」、「十二処」、「十二縁起」、「十八界」などがあります。
それぞれのカテゴリ・セットのカテゴリごとに、例えば、「名色」の「色」は無常・苦・無我である…と考察・観察します。
しかし、ただカテゴリごとに考察するといっても具体性に乏しいと難しいので、様々な観点から考察・観察します。

『清浄道論』では、「五蘊」と「名色」の考察・観察の仕方が説明されています。
「五蘊」というのは、肉体(感覚器官)・感覚・イメージ・連想(感情)・思考という5つ認識の段階のことです。
「名色」というのは、心と物質の2つです。

三相については、それぞれが、消滅するものであるがゆえに「無常」であり、それが執着を生み出す恐怖すべきものであるがゆえに「苦」であり、本質がないがゆえに「無我」であると考察・観察します。

「五蘊」に関しては、「過去」、「現在」、「未来」、「内」、「外」、「粗大」、「微細」、「下劣」、「精妙」、「遠」、「近」の11の観点から考察します。

また別の方法としては「無常」、「苦」、「病」、「腫物」、「矢」…「雑染法」などの40の観点、から考察します。
40の観点のうち、「無常」に関するものが10、「苦」に関するものが25、「無我」に関するものが5です。

つまり、例えば、「肉体(感覚器官)」は、「過去」において消滅するものであったがゆえに「無常」であり、それが執着を生み出す恐怖すべきものであったがゆえに「苦」であり、本質がなかったがゆえに「無我」である…
といった具合に、「5つの蘊」×「11(40)の観点」×「3つの性質」を、順次に考察していきます。

また、「名色」については、「色(物質)」は「行為」、「心」、「食」、「季節」の4つを原因とした生成を認識します。
「名(心)」については81種類の心の生成を認識します。
そうしながら、無常、苦、無我を考察・観察します。

また別の方法では、「色」を「集合」、「対」、「瞬間」、「次第次第」、「見解の撤去」、「高慢の根絶」、「欲念を取り払い」の7つの観点から考察・観察します。
「名」は「生死」、「成長と老衰」、「食」、「季節」、「行為」、「心」、「法」の7つの観点から考察・観察します。


以上は『清浄道論』の方法ですが、「観点」に関しては、現代人にとって身近で分かりやすいものに置き換えてもいいと思います。
スポンサーサイト

四無色(無色界定)

「四無色」は、初期仏教~現代の上座部で、重視される代表的な瞑想法の一つです。

「止(サマタ)」という集中する瞑想に当たり、集中を4段階で高めていきます。
その4段階は、「空無辺処」→「識無辺処」→「無所有処」→「非想相非非想処」です。

ここでは、上座部仏教で最大の聖典、瞑想指導書である『清浄道論』の方法を中心に紹介します。

まず、「空無辺処」を行う準備として、「遍処」を対象にした「止」の瞑想(総称して「十遍」と言います)によって「第四禅」(一切の思考や喜楽がなく、思い描いた対象と一体化しただけの状態)に入る必要があります。
その方法については、「四禅(色界定)」をご参照ください。

では「空無辺処」です。
「地遍」などの「遍処」(「空遍」は除く)を対象とした「第四禅」の状態から、その対象である形・性質を超越したいと思い、それをなくして残った「虚空」の空間のみに一体化します。
「虚空」という対象と一体化した状態です。
そして、「五自在」(その方法については、「四禅(色界定)」を参照)を修めます。

次に、「識無辺処」では、「空無辺処」の状態から、それがまだ静寂ではなく捉われる危険があるから「虚空」を越えたいと思い、それをなくして残った限定のない心の識別作用に一体化します。
「虚空」を対象化していた識別作用そのもの、「限定のない識別作用」という対象と一体化した状態です。
そして、「五自在」を収めます。

次に、「無所有処」は、「識無辺処」の状態から、それが静寂ではなく捉われる危険があるから「識別作用」越えたいと思い、それをなくして残った「ない」という状態に一体化します。
「ない(非存在)」という対象に一体化した状態です。
そして、「五自在」を収めます。

最後に、「非想非非想処」は、「無所有処」の状態から、それを静寂ではなく捉われる危険があるから越えたいと思い、識別作用をなくすことをなくした状態に一体化します。
「存在」を対象にもせず、「非存在」をも対象にしない、つまり、一切の対象が存在しない心だけの状態になります。
そして、「五自在」を収めます。

四禅(色界定)

「色界定」というのは、物質的な対象に集中する瞑想(止)の総称で、「四禅」というのはそれを瞑想の深さで4つに分けた場合の表現です。
ここでは、「色界定」の深め方を分かりやすく理解するために、対象としてシンプルな「地」を対象にした「地遍」の方法を例にして紹介します。

仏教の修行では、一般に、「止」の瞑想の「色界定」を行ってから、「止」の「無色界定」に進んだり、「観」の瞑想に進んだりします。

ここでは、上座部仏教で最大の聖典、瞑想指導書である『清浄道論』の方法を紹介します。

「止」の瞑想修行は、大きくは3段階(三修習)からなります。
「遍作修習(遍作定)」→「近行修習(近行定)」→「安止修習(安止定)」です。

「遍作修習」は初歩的な段階で、「止」の対象を「遍作相」→「取相」→「似相」と順に深めていきます。
「遍作相」は感覚が捉える現実の対象、「取相」は外的感覚なしに心が捉える内的イメージとしての対象、「似相」は純粋な本質です。

「地遍」の場合は、まず、土を円形に盛る、あるいは土に円を描いて、それを対象として見つめます。
そして、「土」とか、「地」と名前を念じ、現実の土ではなく、そのイメージ(取相)を心の中で見れるようにします。
内的イメージを見れるようになれば、土が目の前になくても、どこででも瞑想ができます。

さらに、そのイメージから、感覚的な側面をなくしていき、「地」そのものを見るようにします。
ちなみに、「地」というのは、物質としての「土」ではなく、「硬さ」、「粗さ」、「重さ」、「柔らかさ」、「滑らかさ」、「軽さ」などの性質を持つ抽象的・象徴的な存在です。
しかし、瞑想の対象としては、それらの特性に集中するのではなく、全体としての「地」に集中します。

集中の瞑想をしていても、様々な雑念などが表われて、集中が長続きしません。
次の、「近行修習」は、「欲愛」、「怒り」、「睡眠」、「後悔」、「疑」の「五蓋」と呼ばれる5つの瞑想の障害を失くして、心を浄化していく段階です。

現代のミャンマーのパオ流では、円状の「地」のイメージ(取相)が明るくなると、清浄な本質(似相)になるといいます。
すると、それを拡大し、全方向に広げます。
その後、再度、いずれかの場所に集中します。

そうしていると、やがて数時間ほど純粋な集中が続く「安止定(根本定)」と呼ばれる「安止修習」の段階に到達します。
ここからが「色界定」です。
この段階では、対象に対する欲望や好き嫌いの感情はなく、「禅支」と呼ばれる精神的な特徴が強固になり、対象に一体化した状態を持続できるようになります。

「安止修習」では、さらに4段階から5段階で瞑想を深めていきます。
各段階の名前と、その段階で現れる心の要素である「禅支」は次の通りです。
(宗派によって異なりますが、下記は上座部の狭義によります。)

・初禅 :尋・伺・喜・楽・一境性 
・第三禅:喜・楽・一境性
・第五禅:楽・一境性
・第四禅:捨・一境性

「初禅」から「尋」だけがなくなった段階を分けると、5段階になり「第五禅」までになります。

「尋」は意識的な荒い思考、「伺」は無意識的な微細な思考です。
「喜」は、瞑想状態で現れる独特の精神的な喜び、同じく「楽」は気持ちよさです。
「捨」は対象に対する無関心なまでに不動の心、「一境性」は対象と一体化した状態です。

つまり、瞑想の深まりと共に、順次、心の要素を減らしていくのです。
そして、最終的には、対象と一体化した状態だけになります。

また、それぞれの段階で次のような「五自在」を修めてから、次の段階に移ります。

・引転自在:瞑想を終えた後に後に禅支を確認できるようにする
・入定自在:いつでも瞑想状態に入れるようにする
・在定自在:好きなだけ瞑想状態に留まれるようにする
・出定自在:予定通りの時間で瞑想状態から出られるようにする
・観察自在:禅支を確認できるようにする

四界差別観(四界分別観)

「四界差別(四界分別)観)」は、初期仏教~現代の上座部で、重視される代表的な瞑想法の一つです。

部派仏教では、「止(サマタ)」という集中する瞑想に分類されるようになった瞑想法ですが、本来は、「観(ヴィパッサナー)」という観察する瞑想の要素が強い方法でしょう。

基本的に、「四界差別観」は、五蘊の色身、つまり、体などが四大元素の「地」、「水」、「火」、「風」に過ぎず、どれも「私」ではないことを知る瞑想法です。
四大元素というのは象徴的な存在で、我々が日常で言うそれとは違います。
「地」は硬さの性質を持つ存在、「水」はつながりのある性質の存在、「火」は熱を持つ性質の存在、「風」は推進する性質の存在です。
四界差別観は「近分定」、つまり、外的な感覚のない内的なイメージ(取相)のみを意識に保持できる状態で行うとされるようになりました。


まず、「原始仏典」の中部 『界分別経』の方法を紹介します。
この方法は「観」の瞑想です。

まず、髪、毛、爪、歯、皮・肉、筋、骨、脊髄、腎臓・心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓・腸、腸間膜、胃物、大便、脳髄の20の身体部分が、内なる固く粗い「地」の要素であり、「私」ではないと観察します。
外の「地」の要素も同様に観察します。

次に、胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪・涙、脂肪油、唾、鼻液、間接液、小便の12の身体部分が、内なる水の水と化す「水」の要素であり、「私」ではないと観察します。
外の「水」の要素も同様に観察します。

次に、それによって熱せられ、老化され、焼かれ、飲食消化されるもの、その他の、内なる火の火と化す「火」の要素であり、「私」ではないと観察します。
外の「火」の要素も同様に観察します。

最後に、上向きの風、下向きの風、腹の外の風、腹の内の風、四肢に向かう風、出息、入息、その他の、内なる風の風と化す「風」の要素であり、「私」ではないと観察します。
外の「風」の要素も同様に観察します。


次に、南伝仏教の最大の聖典、修行指導書である『清浄道論』に沿って説明します。

賢い人は、身体に四大元素が存在すると、順に4種の瞑想するだけで良いとされます。
しかし、普通の人は、次のように瞑想します。

・具体的に略して
身体を4つの部分が、それぞれ四界であると思念します。

・具体的に詳細に
身体の32の各部分(42種)を、別々に四界に分別して思念します。

・抽象的に略して
身体を4つの部分それぞれに、四界があると思念します。

・抽象的に詳細に
四界のそれぞれの中にも、他の三界があると思念します。

さらにそれぞれを、13種類の観点(言葉・集合・原子・特徴・現れ・多と一・分解と分解なき・部分を共にするしない・内外・包摂・縁・集中・縁の区分)から四界を思念します。


次に、現代のミャンマーで行われているパオ流の「四界差別観」について、少し説明します。

パオ流では、まず、身体のある部分で、その後に全身の各部位で、四界の12の特徴を識別します。
具体的には次の通りです。

・地界:硬さ、粗さ、重さ、柔らかさ、滑らかさ、軽さ
・水界:流動性、粘着性
・火界:熱さ、冷たさ
・風界:支持性、推進性

最初のどの部分で感じるかは、例えば、次の通りです。

・推進性:呼吸する際の頭部中央
・硬さ:歯
・粗さ:舌で歯の先端
・重さ:ひざの上に置いた手の重さ
・支持性:直立した時の直立させる力
・柔らかさ:舌で唇の内側
・滑らかさ:舌で湿らせた唇を
・軽さ:指を上下させて
・熱さ:全身
・粘着性:皮膚、筋肉、腱など
・流動性:唾液

次に、12の特徴を四界にまとめて識別します。

集中が増して近行定になると、「ニミッタ(相)」と呼ばれる光が現れます。
この透明な光の中の空界の中に微細な「色聚(ルーパ・カラーパ)」を識別します。

この段階に到達することを「心清浄」とします。
ここまでが「止(サマタ)」の瞑想です。
その後、「色聚」の中のさらに細かい色法を分析する段階からが「観(ヴィパッサナー)」の瞑想になります。

四梵住(四無量心)

「四梵住(四無量心)」は、初期仏教~現代の上座部で、重視される代表的な瞑想法の一つで、一般に「止(サマタ)」という集中する瞑想に分類されます。

「四梵住(四無量)」は、「慈(思いやり)」、「悲(いたわり)」、「喜(喜びのわかちあい)」、「捨(心を動かされない)」の4つの感情的態度を養う瞑想です。
それぞれ、「○梵住」とか、「○慈心観」と呼ばれることがあります。


まず、「原始仏典」、パーリ長部の「三明経」に説かれた方法です。

最初に、「慈の心」を、(前後左右の)一つの方向に満たします。
ホラ貝吹いた時に音が広がるように満たすと、表現されています。

次に、同様に、二つ目、三つ目、四つ目の方向に満たします。

続いて、上下に、横に、一切の領域に、一切処に、一切の者に、世界中に、広く、大きく、無量に、怨みなく、怒りなく、満たします。

次に、同様の方法で、「悲の心」、「喜の心」、「捨の心」で行います。

以上です。


次に、南伝仏教の最大の聖典、修行指導書である『清浄道論』の方法です。

「慈」、「悲」、「喜」は第三(四)禅、つまり、思考なしに「楽」だけを感じで描いた対象と一体化した状態で行います。
また、「捨」は第四(五)禅、つまり、思い描いた対象と一体化するだけの状態で行います。

他に特徴としては、最初に自分を対象に行って、徐々に対象とする人を広げていくことです。

まず、「慈」ですが、他人に対して「慈しみ」を感じるように作為する瞑想です。
最初に、自分を対象にして行います。
その後は多くの人を対象に広げていきますが、初心者は、好きでない人、親愛する人、無関係の人、怨恨のある人、異性、死人を避けます。
最初に自分を対象にするのは、自分が安楽を望むようにすべての生物も安楽を望むのだと理解するためです。
次に、自分、好きな人、普通の人、嫌いな人の4種の人々に平等に「慈しみ」を送れるようにします。
そして、対象を広げて、「慈しみ」をすべての方向に、すべての世界に「慈」を満たします。

次に、「悲」は、他人に対して「同情」を感じるように作為する瞑想です。
最初は不幸な人を対象にして行います。その後、愛する人、無関心な人、怨恨のある人を対象に広げていきます。
異性、死人は避けます。
「慈梵住」同様に、4種の人々に平等に「同情」を送れるようにし、対象を広げて、すべての方向に、すべての世界に「同情」を満たします。

次に、「喜梵住(喜心観)」は他人に対して一緒に喜ぶように作為する瞑想です。
最初は最愛の人を対象にして、次第に好きな人、無関心な人、怨恨のある人を対象に広げていきます。
異性、死人は避けます。
同様に、4種の人々に平等に「喜び」を送れるようにし、対象を広げて、すべての方向に、すべての世界に「喜び」を満たします。

最後に、「捨梵住(捨心観)」は他人に対して無関心でいるように作為する瞑想です。
これまでの3つの梵住が感情的反応に近いという弊害を理解して、「捨梵住」を初めて第四(五)禅で行います。
最初は好きでも嫌いでもない人を対象にして、次第に愛する人を対象に広げていきます。
同様に、4種の人々に平等に「無関心」を送れるようにし、対象を広げて、すべての方向に、すべての世界に「無関心」を満たします。


次に、現代のミャンマーで行われているパオ流の「四梵住」について、少し説明します。

その特徴は、それぞれで、言葉を使って具体的に限定した念じ方をすることと、集中した瞑想によって現れる光(ニミッタ)を利用することです。

「慈心観(慈梵住)」の場合は、「危機がないように」、「精神的苦痛がないように」、「肉体的苦痛がないように」、「平安で楽しくあるように」という4つを念じます。

他人に念を向ける場合は、「白遍」などの第四禅の光(ニミッタ)を現しながら、その光を放射し、前方1メートルくらいに、その光の中に対象を見ます。 

また、対象を広げて、最終的には、「5種類の無限定の遍満」と「7種類の限定的遍満」に対して、先の4つの念を拡大させ、それぞれで10の方向に遍満させます。
ですから全部で12×4×10の遍満を行います。

「5種類の無限定の遍満」は、一切の有情、一切の命ある者、一切の生物、一切の個人、一切の個体、です。

「7種類の限定的遍満」は、一切の女性、一切の男性、一切の聖者、一切の凡夫、一切の天神、一切の人類、一切の悪道衆生、です。

同様に、「悲心観(悲梵住)」の場合は「苦痛から逃れられるように」と念じます。

「喜心観(喜梵住)」の場合は「得ることができた成果を失うことがないように」と念じます。

「捨心観(捨梵住)」の場合は、先の3種類の梵住の弊害が感情的な作用に近いことを考えて、「この人は自分が作った業の受け取り人である」と念じます。
プロフィール

morfo

Author:morfo
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。