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ストーキング(メキシカン・トルテック)

「トルテック」は、テオティワカンやトルテカの伝統を受け継ぐと思われる、メキシコ高原のシャーマニズムの思想です。
ハワイの「フナ」とともに、精神的な探究をしている人たちから注目を集めています。

一般に「トルテック」というと、カルロス・カスタネダとドン・ミゲル・ルイスの一連の著作で知られています。
しかし、前者はフィクションであるとの疑いが濃厚です。
後者もどこまでが伝統的なものかは分かりませんが、彼とその弟子達の著作をもとに、「トルテック」の瞑想法を紹介します。

まず、「棚卸しの瞑想」をお読みください。
「棚卸し」が過去の体験を対象にするのに対して、この項で紹介する「ストーキング」は現在の体験対象にして行う瞑想的方法です。

「ストーキング」では、「ジャガー」や「狩人」のようになるのだと表現されます。
つまり、捕食動物や狩人が、注意深く獲物を追跡し続けるように、現在、自分が行っている行為、思考、心の反応に集中して、気づきを持続します。
ハワイのフナの「融合の瞑想」ゾクチェンの瞑想、仏教の「ヴィパッサナー瞑想」と似ています。

「ストーキング」は「棚卸し」と同様にパラサイトによって限定された状態から抜け出して、あるがままに自由になるための方法です。
ですから、「ストーキング」を行う方法は、「棚卸し」で使う方法とほとんど同じです。

違いは、「棚卸し」は過去の体験の記憶が蘇った時に行うか、そのための時間をとって意図的に思い出しながら行うのに対して、「ストーキング」は原則として常に現在の体験に対して行うように心がけるという点です。

ですから、3つの技術(気づき、変容、愛)があり、5つのポイントがあります。
そして、愛の技術では、肉体への感謝、自我を殺すこと、他人や自分を許すことなどが重要です。

一般に、「ストーキング」は、意識的に対象を選んで行うものではないでしょう。
しかし、「ストーキング」を行うの最初の段階では、肉体を対象に選んで感謝をすることが推奨されます。
意図的に、まず、肉体やその感覚に意識を集中します。
そして、生きている悦びを感じるようにします。
体との愛の関係を結ぶことができると、それをもとに、すべての存在との関係に延長することが容易になるからです。

また、体の各部位を順に意識しながら、そこに眠っている感情を解き放ちます。
詳しい方法は分からないのですが、おそらく、その部位から何かフィーリングやイメージを感じたら、それをしっかり味わって体験します。
否定的な感覚であれば、それを肯定的なイメージ、感覚の方向に誘導します。

例えば、胸を意識した時に、なんらかの圧迫感を感じたら、その圧迫感をしっかり体験し、それによって自分の何かを変えることで、圧迫感がなくなっていくようにします。

また、自我を殺すことは、「死への入門」あるいは「死の天使への降伏」と呼ばれます。
しかし、否定的・虚無的な体験ではなく、今の瞬間を楽しむことです。
そして、過ぎたもの、変化するものに執着しないようにします。

このように、対象に対して愛を向けるとか、感謝するとか、楽しむというのは、例えば仏教(初期~南伝)のヴィパッサナー瞑想とは異なっていて、シャーマニズムの現世肯定的な思想がよく理解できます。


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棚卸しの瞑想(メキシカン・トルテック)

「トルテック」は、テオティワカンやトルテカの伝統を受け継ぐと思われる、メキシコ高原のシャーマニズムの思想です。
ハワイの「フナ」とともに、精神的な探究をしている人たちから注目を集めています。

一般に「トルテック」というと、カルロス・カスタネダとドン・ミゲル・ルイスの一連の著作で知られています。
しかし、前者はフィクションであるとの疑いが濃厚です。
後者もどこまでが伝統的なものかは分かりません。

しかし、本ブログでは、ドン・ミゲル・ルイスとその弟子達の著作をもとに、「トルテック」の2種類の瞑想法を紹介します。
過去の体験に対する感情や解釈を書き換える「棚卸し」と、現在の体験に気づいてそれを解放する「ストーキング」です。
「棚卸し」では、自分自身を作っている記憶の全体を理解するために、俯瞰的・鳥瞰的な立場に立つ必要があるので、「イーグル(鷲)」のようになる方法であると言われます。

トルテックでは人間の中には、あるがままの自分を否定する「パラサイト」が住みついていると考えます。
「パラサイト」は、自然な自分を否定する信念体系である「法の書」、それに沿って自分自身を裁く「裁判官」、裁かれて否定的な感情を抱く「犠牲者」からなる集合体です。
仏教が言う煩悩の働きに近いものでしょうか。
トルテックではパラサイトと戦う「戦士」になれと言います。

信念体系は恣意的なものでしかなく、その意味で「夢」でしかないと考えます。
「パラサイト」の作る夢は恐怖と地獄であり、「戦士」はそれを愛と幸福の楽園の夢に作り変えます。

否定的な体験の記憶というものは、何らかのタイミングで、繰り返し、意識にのぼってくるものです。
「棚卸し」は、その「パラサイト」によって生み出された否定的な過去の体験を意識化することを促し、それを肯定的なものに書き換えるための方法です。
つまり、本来のあるがままの自分を認める立場から、体験を解釈しなおし、肯定的な感情と共に体験しなおします。

「棚卸し」の瞑想を行う時間としては、例えば、毎日、寝る前に行います。
その日の体験も対象ですし、もっと過去の体験もそうです。
ただし、最終的には、「棚卸し」を常に自動的に行えるようにすることが目標です。

記憶を思い出すための方法としては、思考や判断を止めて、記憶が蘇りますようにという「祈り」を行います。
記憶が思い起こされるごとに、それを清めていきます。

「棚卸」しの作業を行う時の具体的な方法として「愛の呼吸」という呼吸法を使います。
「愛」を思い浮かべながら、「愛」の中でゆっくり呼吸しつつ、作業を行うのです。


「棚卸し」を行うには、次の3つ(3段階)の技術が必要です。
ただ、これらは実際には一体で用いられるものです。

1 気づきの技術(思い出す技術)
2 変容の技術(夢を変える技術、アクション・リアクションを変える技術)
3 愛の技術(死のイニシエーション)

第一段階(気づきの技術)では、記憶を意識化します。
単に過去の体験を思い出すだけではなく、それが「パラサイト」によって作られていることを洞察して意識化します。
これには、自分自身の心の作用や信念体系を意識化することが必要で、「第二の注意力」と呼ばれます。

第二段階(変容の技術)では、意識化したものに対して、「パラサイト」なしに向き合い、体験から距離を置きます。
これによって、信念体系や行動、過去の体験の記憶を書き換える力を得ます。

変容の技術を使う際には、5つのポイント(約束)があります。

1 正しく言葉を使う
普通の人が使っている言葉は、パラサイトによって生み出された否定的な言葉で、それによって自分自身を傷つける黒魔術の言葉になっています。
ですから、過去に、自然な自分を否定する方向で言葉を語った経験があれば、肯定する方向で言葉を語り直して、過去の体験を浄化します。

2 他人の言動を自分に向けられたものとして受け取らない
他人からの批判は、その人、あるいはパラサイトの幻想から生まれたものなので、本当の自分とは無関係だと理解して受け流します。
過去に他人の言動を自分への批判として受け取り、否定的な感情を感じた経験があれば、それを自分とは無関係なものであると理解し直して、否定的な感情なしに受け止め直します。 

3 思い込みをしない
勝手な憶測をめぐらさず、思い込みをしないようにします。
事実確認をし、あるがままを見るようにします。
例えば、人間関係に関して、こうかも、と勝手に解釈して記憶している経験があれば、それをクリアします。

4 全力を尽くす
これは先の1~3のポイントを、常に心がけるということです。
実際にはこれは最終的な目標ではないかと思います。

5 疑い深く、しかし、耳を傾けて
人が使う言葉は真実を表現しないと理解して、言葉なしに認識するようにします。
しかし、人が何を話そうとしているのかは、理解する必要があります。
過去に何らかの言葉を真実であると理解した体験があれば、それが相対的なものだと理解して、言葉を越えた真実を理解しようとします。


第三段階(愛の技術)では、信念体系や記憶を正しく変容させるために、あるがままを肯定する「愛」の原則の立場に立たなければいけません。

「トルテック」では、自分自身の本質は「生命」=「力」であり、それが自然界のあらゆるものを作っていると考えます。
その生命力、自然な創造力を肯定することが「愛」です。
「愛」は自分の本質であり、選択するのではありません。

「愛」の立場に立つと、「裁判官」も「犠牲者」もいなくなります。
過去に感じた「恐怖」と向き合い、それを「幸福」と「自由」に基づく体験に書き換えます。

自分自身の身体的な要求に対して否定した経験があれば、それを肯定し、体に感謝して「愛」を向けるようにします。

また、自分を傷つけた者に対して恨みを感じている体験があれば、その人を許すことが必要です。
もともと、批判はパラサイトによるものですし、他人を許すことが、自分を癒す条件になります。
同様に、過去の自分自身のすべての行いを許すことも必要です。

「愛」の技術を獲得するためには、「死のイニシエーション」が必要です。

これは、「パラサイト」によって作られた自分、つまり自我を殺し、執着をなくすことです。
自我を守り、自我によって判断することで、何かが否定された体験があれば、自我なくした立場から体験を捉え直します。
そして、その時々の今の体験を、変化するものを楽しむようにします。

記憶の書き換え(ハワイアン・フナ)

フナは、ハワイのシャーマニズムの伝統で、メキシコのトルテックと共に、精神的な探究をしている人たちから注目を集めています。

シャーマンが行う精神技術は、本質的には個人的・修行的ではなく、利他的で、実用的で治療的・魔術的です。
しかし、修行的・瞑想的な部分もあります。

フナには、過去の体験の記憶を書き換える瞑想法があります。
サージ・カヒリ・キングが語るその方法を紹介します。

シャーマンのイニシエーションの段階では、過去のトラウマなどを取り除くことは重要なステップとされます。

思い出す度に否定的な感情が起こってしまうような、良くない体験、トラウマとなるような体験の記憶がある場合は、心は自由に、創造的になれません。

一般に、現代の心理療法では、それに対する感情を表現したり、その体験をしっかり受け止めるようにします。
神秘主義的な伝統の場合は、高い観点から、それが重要ではないと理解したりするでしょう。
シャーマンの伝統の場合、その体験や感情をどこかに捨てるパフォーマンスをしたりするでしょう。

フナでは、実用的・実践的な観点から、別の方法を取ります。
記憶した内容を瞑想的な状態で、書き換えて、否定的な感情が起こらないようにするのです。
記憶を思い出して夢見に近い状態になりながら、観想するように、意図的にイメージしてその内容を上書きします。

記憶は現実のコピーでも、固定したものでもありません。
常に生きていて、変化するものです。
また、無意識は今だけを生きていて、実際の体験とリアルなイメージを区別しません。
ですから、記憶の書き換えは効果的なのです。

否定的な感情がそれほど大きくない場合は、体験の内容そのものを変えてしまいます。

例えば、何か失敗して誰かに怒られたとします。
その場合は、成功したとイメージします。
あるいは怒られずに、慰められたとイメージします。

たとえ本当の記憶が残っていて、書き換えた体験がウソのものであることを知っていても、書き換えた体験を、しっかり感情的に体験すれば、否定的な感情は薄まっていきます。

しかし、否定的な感情が大きい場合は、体験内容を変えようとしても、無意識はそれを受け入れない場合があります。
この場合は、体験の一部を書き換えます。

例えば、暗い部屋で怒られたのなら、明るい部屋だったと書き換えます。
寒ければ、暖かかったと、嫌いな絵がかかっていたなら、好きな絵がかかっていたと書き換えます。
あるいは、楽しい音楽が流れていたと書き換えます。
怒っている人が大きな人なら、とても小さな人だったと、ピエロのような面白い恰好をしていたと、書き換えます。
このように、少しずつ記憶を変えながら、否定的な感情をなくしていきます。
 

融合の瞑想(ハワイアン・フナ)

フナは、ハワイのシャーマニズムの伝統で、メキシコのトルテックと共に、精神的な探究をしている人たちから注目を集めています。

シャーマンが行う精神技術は、本質的には個人的・修行的ではなく、利他的で、実用的で治療的・魔術的です。
しかし、修行的・瞑想的な部分もあります。
「ナル(融合)」の瞑想もそうです。
サージ・カヒリ・キングが語る方法を紹介します。

「ナル」というのは、「平和な融合」、「融合した状態」などを意味する言葉で、「協力的な関係」という意味も含意しています。
「ナル」の瞑想は、判断せずに、ただ、対象に静かに気づいている状態を維持します。
仏教の素朴なヴィパッサナー瞑想(観)に似ているところがあります。

また、気づきの対象に対して中立的ないしは肯定的(おだやかで心地よい期待感)でいれば、対象にエネルギーが流れて、対象が活性化され、肯定的な変化をすると考えます。
これはゾクチェンに近い考え方だと思います。

また、対象とつながり、無意識はそれを真似て学習する、とも言います。

「ナル」の方法や対象は様々です。
「ナル」は一つの瞑想法というより、瞑想の種類といった方が良いのかもしれません。

まず、視覚的な見る「ナル」です。
特定のものに一定時間集中して見ることが基本です。
その対象は、「美しいもの」、「美しいと思っていないもの」、「慣れ親しんだ環境」、「自然」…などです。
「美しいもの」を対象にすると、心も調和を持ち、美しくなります。
後の3つを対象にすると、今まで気づいていなかったものに気づき、何かを直観的に学ぶことができます。

また、すべてが夢であるという観点から、見ることも行います。
これによって、認識の枠組みを変えることにつながるでしょう。

また、目を動かさずに視界の端を見て、意識します。
あるいは、視野の全体を意識します。
これによって、習慣の外に出ることになるので、普段の思考のくせを理解することにつながります。

聴覚的な聞く「ナル」です。
見る「ナル」と基本的には同じですが、音、音楽、暗示的言葉などを聞いて意識します。

触覚的な「ナル」です。
何か行動をしている時に、その体の動き、その感覚を意識します。
また、ダンスを行ってそれを意識したり、呼吸を意識します。
これらによって、体や感覚への感謝や喜びを感じることができるようになります。

全感覚的な「ナル」です。
感覚的な気づきのことを「アノ」と言いますが、今の感覚に気づくようにします。
また、歩きながら、すべての感覚を意識します。
これらによって、やはり感覚への感謝や、環境とのつながりを感じるようになります。

あるいは、呼吸しながらすべての感覚を意識します。
息を吐きながら感覚の対象に生命を吹き込み、息を吸いながら豊かさをいただくと感じるようにします。

最後に、思考の「ナル」です。
何か抱えている問題があれば、それについて集中します。
それを、判断せず行うと、抱えていた問題が変わってしまうことがあります。
別の観点が現れて、問題を見る角度が変わったり、以前自分が立っていた枠組の外に出ることで、問題が問題でなくなってしまったり、ということが起こります。


このように、「ナル」は気づきの瞑想ということで、一見仏教の「ヴィパッサナー瞑想」に似ていますが、ヴィパッサナー瞑想のように対象への執着をなくすという方向ではなく、対象を豊かにし、感謝し、学ぶという方向性で瞑想するので、思想の力点が異なります。 

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morfo

Author:morfo
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